2011年2月27日日曜日

Hina Matsuri-The Girls’ Day on March 3rd

Summary:Hina Matsuri which is the Girls' Day or the Dolls' Festival is held on March 3rd. We display the traditional dolls for girls at home for a couple of weeks. It is to wish the health and the future happiness of girls.
My daughter shared some pictures and snacks of Hina Matsuri at her preschool, when she was 4-year-old. I hope that her friends learned something about Japanese culture at that time. It will help them remember a part of the cross-cultural communication between Japan and the U.S. in the future.

Odairi sama & Ohina sama,
Hina Dolls
アメリカに住んでいる日本人にとって、日本の伝統文化や行事を子供にどのように伝えるかは難しいことだと思います。アメリカでは例えばお正月や節分といった概念はないので、家族がお祝いをしなければ、子供は知らずに過ごしてしまうことになります。
なかでも雛祭りは、小さい女の子を持つ母親にとってはぜひお祝いをしてあげたいと思う伝統的な行事の一つではないかと思います。私もささやかながら、毎年娘のために雛祭りのパーティーを開いて来ました。

娘が3才の頃、義理の母が日本から手荷物で雛人形を運んで来てくれたこともあり、友人のHeidiたち家族を呼んでパーティーを開きました。まだまだ3才の女の子たちにとっては、遊ぶことに忙しくて雛祭りや飾ってある雛人形にはほとんど興味がないようでした。。

Hina Matsuri Playdate
March, 2007
4才の頃には、日本人の何人かのお友だちを招いて、プレイデートを兼ねて小さなパーティーを開きました。
こうして毎年、日本人のお友だちとは誰かのお宅に招かれては雛祭りパーティーをしていたので、異国での生活の中で雛祭りの存在をしっかりと植えつけることはできたのではないかと思います。
ポットラック形式でママたちは食事を持ち寄り、子供たちには着物の代わりに浴衣を着せて雰囲気だけでも味わうことができました。またピアノを習っている娘のお友だちはピアノを弾いて聴かせてくれました。特別なことはできなくても、雛祭りの歌を歌って、一緒に食事をして…子供たちにとって楽しいお祝いの会となり、幼少期の記憶としてわずかにでも残っていて欲しいと願っています。

日本にいれば祖父母などと家族で一緒にお祝いができますが、カリフォルニアにいる間はお友達のママと協力しながら子供たちのためにと様々なイベントを熱心に企画したものです。

プリスクールでは、自由に自分の好きなものや紹介したいことを何でも共有“Share”することができました。シンガポール人の友人Hweeは、“Chinese New Year”のときに必ず“Lucky Money”を赤と金色の小さな封筒に入れてクラスのお友だち全員にプレゼントしていました。別のプリスクールに通うようになってからは、中国人の友人も同じ様に配っていました。日本で言うお年玉のような風習です。シリコンバレーは中国をはじめとするアジア系の移民が多いですし、ほんの一部分かもしれませんが、異文化に触れるきっかけにもなったことでしょう。もちろん子供たちは、思いがけないお金のギフトを素直に喜んでいました。

Hina-arare(Left) & Hina Matsuri Snacks
娘のプリスクールでは日本の文化を紹介するような機会はなかったのですが、雛祭りの日にはその文化の“Share”のために、雛人形の写真とクラスの人数で分けられるくらいの雛あられ“Hina-arare”を娘に持たせました。
カリフォルニアでは、しょうゆ味のおせんべいやかっぱえびせん、それにわさび味の豆などがアメリカのスーパーマーケットで売られているくらいですので、日本のスナックは食文化に浸透しつつはありますが、雛あられは甘くコーティングされているのでそれを子供たちや先生方がどのように味わっていたのかは興味深いところです。ただその雰囲気だけでも伝われば良いと思います。カリフォルニアのコーヒーショップにライスクリスピーはよく置いてあるので、全く初めて食する感覚ではなかったと思いますが。(個人的な意見ですのでわかりません。。) 

Origami
私の友人は、プリスクールでちょうど雛祭りの日に、クラスの何人かの日本人と雛祭りについて英語で説明をしたり、折り紙でお内裏様とお雛様をつくって台紙に貼り付けて、色を塗るなど、雛祭りにまつわる紹介をしたそうです。

別の友人のプリスクールでは、“Culture Day”があり、日本文化を紹介したという話しを聞きました。たまたま雛祭りの時期に重なった友人は、お雛祭りのことを紹介したと言っていました。他にも、お手玉やけん玉など昔ながらの遊び道具を持って行ったそうなので、そのクラスの子供たちも異文化を体験する良い機会になったことと思います。また子供にとっては母国のプレゼンテーションの機会になるわけですから、きっと張り切って紹介できたのではないでしょうか。
The Peach Brunches
for Hina Matsuri
こういった異文化コミュニケーションは、好奇心溢れる子供たちにとっては未知の体験であっても、それらの経験が何かの形となって残り、将来、少しでも世界観を広げる助けになればと思います。
またアメリカに住む日本人が、小さなことでも文化を紹介する機会を積極的に持つことが、世界の人々に日本を理解してもらう大事な役割となるのではないでしょうか。



2011年2月20日日曜日

From 53rd Grammy Awards To 26th Grammy Awards

Summary:We went to the Jazz Live“The Stanley Clarke Band Feat. Hiromi” at Yoshi's in San Francisco. This band won the Grammy award as Best Contemporary Jazz Album this year. When I listened Hiromi's piano playing, I was so impressed because she is not a typical Japanese Jazz pianist. Her playing style is dynamic and attractive. Even my 6-year-old daughter listened well, after playing, they got a huge standing ovation from the audience.
We also went to the exhibit “A Musical Legacy” of the Grammy Museum in Los Angels after Michael Jackson passed away. We saw his private costumes, gloves, lyrics, music videos and the speeches of the 26th Grammy awards in 1984.
We had some chances to listen and watch the real music in the U.S.. That was precious experiences.


Yoshi's San Francisco

先日、第53回グラミー賞が発表され、そのうち4人の日本人が受賞したというニュースをTVで見ました。アメリカの権威ある音楽賞に日本人が功績を残せたことは素晴らしいことだと思います。

なかでも“Best Contemporary Jazz Album”を受賞した 上原ひろみ“Hiromi Uehara”さんは、2009年10月にサンフランシスコの有名なジャズクラブYoshi'sで生ライブ“The Stanley Clarke Band Feat. Hiromi”を観ただけに、これからも陰ながら応援したいなと思っています。

ジャズライブは娘と主人と3人で行きました。開演ギリギリの時間に到着したので、空いているテーブル席が何と一番前のみ。Yoshi'sではチケットは事前にインターネットで購入できても席の指定はできません。全て自由席なのです。偶然にも、上原ひろみさんの座っている真後ろに私たちは座ることになりました。
真後ろとは言うものの、間近に彼女の体の動きとピアノを触るの手の動きを見ることができます。近かったことが良かったのか、当時、6才の娘でさえもその躍動感溢れる演奏にしっかり聴き入っていました。一人の日本人女性が会場にいる多くのジャズファン…しかも来ている方々には相当なジャズマニアも多いはず…をこんなにも湧かせるなんて…私にはその演奏内容を十分に表現することはできませんが、それはそれは感動のStanding Ovationでした。思わず娘も一緒に立ち上がっていました。。

カリフォルニアでドライブ中にジャズ専門のラジオ局をつけていると、たまに上原ひろみさんの名前を耳にすることがありました。演奏活動やその内容については全く知らなかったのですが、アメリカ滞在中に評判の高い日本人アーティストの演奏をYoshi'sで聴きたいなと思ったのがきっかけでした。

初めてYoshi'sへ行ったのは、娘がまだ3歳の頃だったと思います。まだサンフランシスコのジャズクラブが出来る前でしたので、オークランドまで出かけました。夫の好きなジャズギタリストのLarry Coryellが出演するということを知り、急遽平日の夜8時からの公演のチケットを取りました。わざわざオークランドまで車で約1時間かけて行くので、そのライブの前にYoshi'sの中にある日本食レストランで食事をすることにしました。
Yoshi'sは日本人がオーナーということもあり、レストランサービスは行き届いていると思いました。シリコンバレーにある多くのAmerican-Japanese Restaurantとは趣が異なり、内装や客層を見た限りでも高級日本食レストランです。何品か頼みましたが、そのときに久しぶりに器と盛り付けのバランスが整っているお料理を見たなと思ったものです。以降、そのレストランへ行く機会は残念ながらありませんでした。

ライブはと言うと、席は自由席ですので、中段にあるブースターシートに座りました。3才の子供には遅い時間ですので、横になって眠っても良いようにと思っていたのですが、娘にはきっと難しいジャズギター(私にも少々難解でしたので…)だったにも関わらず、最後まで起きていたのには驚きました。コンサートホールではなく、ライブステージという丁度良い広さと心地良いシートの感触がリラックスできたのか…真相は分かりませんが、幼いうちに何でも本物を体験させることの大切さ(?)かなと今でも信じています。。。

アメリカでは、夜遅くに夫婦で食事をしたり芸術鑑賞のために外出する場合は、子供をベビーシッターに預けるのが普通です。ベビーシッターに預けることに抵抗があった私たちは、多少の無理も承知のうえでそれならば一緒に連れて行ってしまおうと様々なイベントに娘が幼いうちから同行させていました。

夫は日本では考えられない近距離で憧れのギタリストの生ライブを堪能し、公演後にはロビーでCDを購入しサインをしっかりもらっていました。

Yoshi'sはどんな有名アーティストでもチケットの価格が良心的だと思います。また日曜日には、子供も鑑賞できるように午後の時間もライブを開催しています。ジャズファンに限らずとも気軽に楽しめるのではないでしょうか。

2度目のYoshi's訪問は、夫の誕生日でした。サンフランシスコがオープンしたと言うことで、行ってみたいなと思っていたところ、今回も夫の好きなジャズギタリストのLee Ritenourのライブが誕生日の週末に行われることが分かりチケットを取りました。

折角の機会なので、そのライブの前に、サンフランシスコのYoshi'sのレストランで食事をしました。内装は広々として天井はとても高く、ガラス張りの窓からは西日が眩しいくらいでした。ここもやはりシリコンバレーにはないお洒落な感じの日本食レストランです。その日は家族だけの、ささやかな誕生祝いとなりました。

2009年6月にマイケル・ジャクソンが急逝したのをきっかけに、その年末のクリスマス休暇に私たちはロスアンゼルスへ旅行することにしました。



そのときに初めて、The Grammy Museumを訪れ、マイケル・ジャクソンの特別展示“Michael Jackson:A Musical Legacy”を見ました。
展示コーナーは建物の一部のフロアの限られたスペースでしたが、マイケルの私物である衣装やグローブ、直筆の“Billy Jean”の歌詞、1984年に第26回グラミー賞で8部門を受賞したときのスピーチやヒット曲のミュージックビデオなどを見ることができました。
また“Billy Jean”のイントロ部分で、マイケルがステップを踏むと床のタイルの色が変わるあの有名なシーンを実際に体験してきました。
なかでも夫は、“Thriller”のレコードジャケットで実際に着たオフホワイト(当時は真っ白だったのかもしれません)のHugo Bossのスーツが展示してあったことに感動していました。

気がつけば私たち親子は、マイケルの展示コーナーに2時間近くもいたのですが…そのコーナーを訪れるお客さんも何度となく入れ替わっていました。

マイケル・ジャクソンがステージで歌って踊っていた時代を知らない娘にとっても何か胸を打つものがあったのか…この真相も分かりません。今となっては映像でしか見ることのできない彼の姿ではありますが、実際にThe Grammy Museumを訪れたことただけでも何か私たちの心に刻むことができたのではないかと思います。

2011年2月15日火曜日

Is Winter Cold or Hot?

Summary:My daughter and I were sick with the flu for the first time. We see many people who wear masks in Tokyo, but I think it is not enough to protect flu virus because they cough a lot. I have never worn a mask in California. In America, it is not normal to wear a mask, but it is quite popular in Japan, it is like a mask culture.
We went to San Francisco Zoo with my friends in February, 2005. And then, I saw many people wore short sleeves under the sun. It was so surprising to me because it is the coldest season in Japan.  Also, I never thought to go to the beach at the beginning of March.
In California, there are many beautiful sunny days, so most of the people whom I know are heart-warming like the sun.

先週、娘が生まれて初めてインフルエンザにかかってしまい、しかも今週は私がかかってしまいました。2009年、世界で猛威を奮っていた新型インフルエンザのときには感染しなかったのですが、日本に帰国して最初の冬に、私たちはインフルエンザの洗礼を受けてしまいました。。昨年の秋にインフルエンザのワクチンを接種したにも関わらずです。。

日本では公共の場所で、マスクは着けているもののゴホゴホ咳き込んでいる人をよく見かけます。そういう場所に出かけるのは極力避けたいとは思うのですが、ごみごみした東京に住んでいる限りそうは行きませんよね。。

乾燥注意報が1ヶ月以上続き、2月に入って街では男性も女性もマスクを着用している人を多く見かけるようになりました。アメリカでマスクをして外出することはなかったのですが、今年の冬は風邪の予防以外にも顔があまりにも寒いので、寒さと乾燥対策のために着けるようになりました。

アメリカでは、マスクは医療など特定の仕事に就いている人しか使用していないようです。ある日、カリフォルニアでのことですが、日本人のママがマスクをして、学校に子供のお迎えに行ったところ、ジロジロ見られたと言っていたことがありました。以来、その彼女は日本人以外の人に会う場合は、マスクを着けることをやめました。人に迷惑をかけたくなかったつもりが、もしかすると彼女の姿を見た人は、もの凄く深刻な症状だと思ったのかもしれません。。

ある年の12月に友人のJoannaと娘とサンフランシスコへバレエの"The Nutcracker"を観に行く機会がありました。その日私は酷い風邪を引いていたので、車でJoannaを迎えに行ってすぐに"Can I wear my mask because I am coughing so badly?"と尋ねると、すぐに彼女は"No! Never!"ときっぱり言いました。マスクをしなくても良いと言われたものの、私は咳をゴホゴホしていたので申し訳なく思い、ほんの気持ち程度ですが、のど飴をなめ続けながら何とか乗り切ることができました。喉の調子が悪いときは、車のエアコンの風にも敏感に反応してしまうので気を遣います。でもそれ以上に、Joannaのとても寛大な心が嬉しくもありました。

そもそも、アメリカ人には風邪のときにマスクをする習慣はないようです。運転中はともかく、公共の場での買い物の最中にマスクをしていたら、怪しい人かと間違われるかもしれません。。
アメリカでは咳が出ているならば、オフィスへの出社や外出を控えるそうですが、私の場合はどうしても見逃せないバレエ鑑賞だったので、そのときには出かけてしまったわけです。

風邪を引いていたら、人前に出ないのがアメリカ人で、マスクをしていれば許されるだろうと思うのが、日本人と言ったところでしょうか。マスクは日本独自の文化としても定着しているようです。

日本の冬の寒さは忘れていたわけではありませんが、周囲の人に訊いても今年は寒いと言う話です。シリコンバレー辺りでは一番寒い12月下旬頃から1月にかけてもウールやダウンのロングコートを着る必要はありませんでした。基本的に移動は車なので、コートはあってもなくても大丈夫なくらいでした。どちらかと言えば、ハーフコートや厚手のジャケットくらいで十分でした。インドアのショッピングモールでは、駐車場にいるときだけ寒いと感じるかもしれませんが、コートは後々余分な荷物になってしまうかもしれません。

覚悟はしていましたが、今シーズンは冬物をたくさん買い揃えました。ダウンコートから始まり、ファーの付いたマフラー、それに革の手袋まで…すっかり防寒対策貧乏になってしまいました。
カリフォルニアでは、日中は少し厚手のTシャツの下に肌着とハーフ丈のコートで十分だった娘も、この日本の冬の寒さには勝てずに肌着とTシャツの上に厚手のトレーナーを着てダウンコートを着るようになりました。それに外出時は、マフラーと手袋とイヤーウォーマーも必需品です。日本での冬の服装に関しては、カリフォルニア時代とは全く事情が違います。

今年のシリコンバレーの冬は例年より暖かい日もあったようで、日中は抜けるような青空で、子供たちは半袖シャツを着て遊んでいたそうです。確かに年によっては、雨が多かったり、多少暖かかったり寒かったりと差はあります。東京では先週から既に雪が数回降り、とても寒いので、その気候を羨ましく思ってしまいます。一方で娘はと言うと、東京で初めて雪を見たときは、無邪気に喜んでいました。

日本の冬は子供が外で遊ぶ時間が極めて少なくなり、どうしてもテレビゲームなど室内遊びばかりになってしまいます。シリコンバレーであれば雨の日以外は、小さい子供たちは思いっきり公園で遊べます。子供にとって太陽の下で思いっきり遊べることがとても大事であることは言うまでもないことだと思います。

シリコンバレーは夏はからっとした気候でとても過ごしやすく、冬は気温が低くなりすぎることもありません。但し特に冬の朝晩は東京と同じように冷え込むので、霜柱や薄く氷が張ることはありますが、雪は降りません。天気の良い冬の日中でも、陽の当たる場所にいると暖かく感じます。

日照時間が長いことや朝晩と日中との寒暖の差が激しいことは、葡萄栽培に大変適しているそうです。そのため、ナパやソノマを初めとするカリフォルニアワインのビジネスが大きく発展することとなったそうです。

また真冬でもゴルフが出来ることは、ゴルフ好きの人にとっては、実に魅力的な所だと思います。それも理由の一つなのか…駐在で一度住んだ経験のある人は、転職してから戻ってくることもあるそうです。

私が住んでいた場所は山に近かったので、朝はよく霧が出ていました。でも面白いことに、そこから娘の学校へ向かって車を運転していると、一本の道路を境にその霧がパッと晴れるのです。ある日はうちの方では雨が降っていたのに、学校では晴れて大きく虹が出ているなど。わずか4 mile(約6.4km)の距離ですが、なかなか風情あるドライブコースでした。

San Francisco Zoo
Feb. 2005
娘が2才のときに、友人のHeidiやKatjaたちと子供たちを連れて、サンフランシスコ動物園"San Francisco Zoo"へ行きました。その日は天気がとても良くて、2月初旬とは思えないくらい暖かな日で、歩いていると汗ばむくらいのポカポカ陽気でしたが、動物園にいる多くの人々が半袖だったことにも驚きました。このとき私にとっての2月=(イコール)一年で一番寒いという概念は覆されたわけです。





The Fun Beach Day
Mar. 2005
 その年の3月初旬に、車で1時間くらいのところにあるビーチへ行きました。3月に入ったばかりなのにビーチへ行けるのかなと最初は驚きましたが、晴れて気温が21℃(70F)を超えると、夏を意識するのがカリフォルニアなのだと思ったものです。

冬でも太陽が出ていて暖かい日は、半袖やノースリーブにビーチサンダル姿の人々もたくさん見かけるのもシリコンバレーならではです。皆口々に、"I like the sun."と言って、陽の当たる場所を好んで座ります。その土地に住む人々の人間性は、気候が大きく関係しているのかなと思わずにはいられません。

そういう環境が影響するのか…カリフォルニアの太陽のように多くの人々は明るく穏やかでフレンドリーです。シリコンバレーの地に根を下ろしたいくつものベンチャー企業が、現在では名だたる多くのIT関連企業として成長し続ける理由もそこにはあるのではないでしょうか。

東京の街路樹のつぼみはかたく閉じたままで、まだ春は少し先のようです。シリコンバレーの暖かい日差しと温かな人々をつい懐かしく思い出してしまいます。

2011年2月6日日曜日

What kind of SNS “Social Networking Service” do you need?

Summary:I have been using Facebook since 2009. I think this is one of the best communication tools for me. After moving back to Japan, we can still effectively communicate with many friends who live in America.
We have mixi, which is the most popular SNS in Japan. The number of mixi active users is about 15 million, on the other hand, Facebook's is only 2 million in Japan. The reason is to remain anonymous on the web, so we don't like to open our profiles normally.
 I think we have to take the chance to connect with Facebook much more if Japanese people want to spread our wings around the world... 

Typing
April, 2009
私たちがカリフォルニアを去って最も残念に思うことは、6年の年月をかけて出会った多くの素晴らしい人々と、お別れしなければならなかったことです。

先日、Facebookの全世界の利用者数が6億人を突破したとインターネット上のニュースにありました。私自身、カリフォルニアで出会った友人たちともそのFacebookのおかげで、継続してコミュニケーションを取ったり、お互いの近況を写真などを載せて伝えたり、情報をシェアする場所として大いに役立っていると思います。
もしもFacebookがなかったら、決して得意とは言えない英語で個人的にメールを書かなければならないプレッシャーから逃げ出し、大切な友人との連絡を絶ってしまうかもしれません。それでなくても、雑多な日々の中で一人一人にまめに連絡を取ることは難しいものですよね。私にとっては有益なコミュニケーションツールなのです。

先月、日本でも“The Social Network"の映画が公開されたので、映画館へ観に行きまた。その映画の中で初めて、Facebookをハーバード大学の学生向けに立ち上げたのは2004年であることを知りました。それはちょうど、私たちがカリフォルニアでの生活をスタートさせた年でもあります。

当時の私のコミュニケーションツールは基本的にはe-mailだけでした。あとは日本人向けのコミュニティーサイトとして、「世界のご近所さんを探せ!」が既にありましたが、私の場合は利用する必要もなく、生活は何とか立ち上げることができました。
生活がわりとスムーズに立ち上げられたことの理由は、夫の会社には私たちのような日本人駐在員が何人かいたので、その方々に会って色々とカリフォルニアの生活について伺うことができたからです。また何度かこのブログでも触れているとおり、プリスクールや近所の同じ年齢の子供を持つママたちと早い時期に知り合うことができたので、わざわざインターネットを使ってお友達作りをする必要はありませんでした。
もしもこう言った人々との偶然の出会いがなければ…「世界のご近所さんを探せ!」を利用していたかもしれません。

その当時、e-mailが存在していたことは、友人関係を築く上での重要なツールであったことは間違いないと思います。英語を話すこと以前に聞き取りがまだまだの状況だった私には、e-mailでプリスクールのことなどを詳しく教えてもらうことができたので、大切なコミュニケーションの手段だったわけです。
また友人からのe-mailで英語を読んだり書いたりすることが、生きた英語を学ぶことにもなりました。
初めの頃は本当に短いe-mailの内容でもどう返事を書いて良いのかわからず、夫に随分と助けてもらっていたものです。近頃では、8才の娘に内容をチェックしてもらっていることもあるのですが…

日本から両親や友人が遊びに来ることになった時、国際電話で話をしなくても、e-mailだけで日程の確認や滞在中のスケジュールなど全てのことを事前に決めることができて、サンフランシスコ空港で何のトラブルもなく迎えることができました。ある意味、直接話すよりも文章で表したことの方が、正確で確実に伝わるものです。インターネットのおかげで、日本とアメリカは距離や時差がありますが、実は近いのだと思うことが多々ありました。

何年か前、日本でmixi*が流行り出した頃、ある友人から招待されたこともありましたが、その時にはSNSの必要性を感じなかったため、結局、登録をしませんでした。今思えば、英語の環境で生活することにおいて、敢えて日本に目を向ける気持ちの余裕もなかったのだと思います。

同じ頃、アメリカではMyspaceが流行っていましたが、登録はしたものの参加しようにも英語力が不足している自分の実力のなさから結局続けることができませんでした。

2009年頃になって、複数の友人からFacebookの招待メールが来るようになって、アカウントを開くことにしました。恐らく、この頃には英語を読んだり書くことへの抵抗が少なくなって、自分から挑戦してみようという意欲が出て来たのではないかと思います。

以来、私のFacebookでのコネクションは、ごく身近な友人から始まり、娘の学校や習い事関係で知り合ったママたちへとネットワークの輪を広げることができました。これは帰国が近づくにつれて拡大し、今ではアメリカでの友人たちとの関係を保つ重要なツールの一つになっています。
またカリフォルニアには移民が多いので、アメリカ以外に住む家族との貴重なコミュニケーションの場となっています。従ってFacebookのページに書かれている言語は、英語以外にもスペイン語であったり、ドイツ語であったり、韓国語やもちろん日本語もあります。


My daughter made an office desk.
August, 2009

あと数年もすれば、娘がアメリカにいる友達とFacebookのネットワークを作り始めるかもしれません。将来、娘がどういう人生の選択をするかまだまだ分かりませんが、もしかするとネットワークの存在が役に立つ日が来るかもしれませんね。

娘がキンダーガーテンと1st Gradeを過ごしたプライベートスクールの5th Gradeで、iPadがクラスの全員に配布されたというローカルニュースの記事を友人のFacebookから知りました。その記事とYouTubeによるニュース映像を見て、コンピューター世代の娘はとても羨ましがっていました。

現在、娘の通っている区立の小学校では、コンピュータールームにラップトップを20-30台は所有していますが、2年生の授業では利用することがないそうです。
一方、カリフォルニアのプライベートスクールでは、キンダーガーテンからコンピューターの授業が週に1度あり、児童1人に1台、Macが割り当てられています。シリコンバレーのしかもApple本社近くの学校ですので、その環境は恵まれているのも当然と言えば当然なのですが、同年代の子供たちの置かれる環境の違いによって、彼らの将来がどうなっていくのかはある意味、興味深いことだと思います。

世界的に見ればFacebookは大成功ですが、実は日本ではまだまだ発展途上のようです。それは「文化の違い」**によるものであり、日本のSNSで圧倒的なシェアを誇るmixiで見られるように、「匿名にしたがる文化」**だからだそうです。。mixiでは、個人情報の漏えい防止のために本名を公開する人が極めて少ないそうです。

アメリカ人は、家族と離れ離れに暮らす人は多いです。以前、今では400人以上とのコネクションがある友人に「どうしてそんなにたくさんの人々と知り合ったの?」と尋ねたことがありますが、「両親・兄弟姉妹から始まり、その知り合いへと輪が広がったのよ。」と言っていました。その時には、ネットワーキングに対する意識が日本とアメリカでは違うのだなと感じさせられました。日本人ならば、ネットワーキングを友人や同級生など面識のある人に範囲を限定することが多いと思います。

Facebookがグローバル時代へとつながるツールであると考えたとしたら、日本人はそのチャンを生かすべきなのではないでしょうか。もしかすると、国際舞台で活躍する日本人がFacebookを使いこなせて初めて日本でのFacebookの利用価値が変わるのかもしれません。

けれども一方で、私たちには選択する権利もあるわけですから、自分にとって必要と思うSNSを使うことが一番大事なのでしょうね。

*mixi:日本最大手のSNSで、mixiのアクティブユーザーは1500万人近くであるのに対し、日本でのFacebookのアクティブユーザーは200万人超とのこと。ITmedia News 2011年2月4日より抜粋

**文化の違い」「匿名にしたがる文化」:「実名と友達力の威力」 AERA 2001年2月7日発行より抜粋