2011年4月27日水曜日

Japan is SAFE. What we should do now is…

Summary:We would like to say that Japan is SAFE and please visit Japan from all over the world. 
After a month from the earthquake in the northeast of Japan, Tokyo Disney Land was reopened and The Tokyo Disney Sea will be reopened on the 28th of April. The life in Tokyo is getting better day by day. On the other hand, the affected area is still in tough situation.
Most of the people from other countries left Japan in the aftermath of the earthquake. Finally I see many people who came back from other countries or cities in Japan.

I have the emergency supplies in the backpack and the bottles of water since the earthquake happened, because we have to think about next huge earthquake in Tokyo all the time.

What we should do now is brownout, because the Fukushima nuclear power plant was damaged by tunami. There are serious concerns for coming summer. Every family has to save 15% of normal electrical power. So we should try the day light saving time this summer in Japan. 


Tokyo
April, 2011

今朝の情報番組で、日本への外国人旅行者が減少したままなかなか回復しないので、日本の安全性を海外に広めたいというような内容が報道されていました。私も同感です。

東京ディズニーランド“Tokyo Disney Resort”は既に通常営業となり、28日からは東京ディズニーシーも運営を再開すると報道がありました。もちろん、広範囲で被災地はまだまだ厳しい状況のままであることも事実ですが、日本全体として考えれば、以前と同様、私たちは安全に暮らしています。

昨日、近所の公園の前を通ると、久しぶりに欧米人家族が小さな子供を連れて遊んでいるのを見かけました。ようやく一時滞在先から戻って来たのかもしれないと思いました。

先週末には外国人の多く住む地域を散歩していると、以前のように外国人の家族を見かけるようになりました。仕事の関係で滞在していると思われる欧米人家族の姿はよく見かけますが、地震が起こる前までたくさん来日していたようなアジア諸国(中国・韓国・台湾)からの団体旅行客は、今のところキャンセルになってしまっているそうです。
きっと個人旅行者が東京の様子を見ると、あまり変わったところがなくて驚くかもしれません。しかも浅草や築地などの人気の観光名所も空いているので、遊びに来るのには絶好の機会かもしれません。

東日本大震災後、東京近郊に住む人々でさえ、一旦自宅を離れて、安全な関西圏へ非難する現象が起こりました。東京にいても多くの余震や一時的な食料不足による不安やストレスが多いので、早々に脱出したようです。ちょうど連休や春休みと重なったので、旅行に出かけてリフレッシュできたという友人たちもいました。

日本人でもそんな状況でしたので、本国のある外国人にとってもきっと不安で、一刻も早く日本を抜け出したいと思ったことでしょう。

しかしそんな状況は時が経てば沈静化し、6週間が経過した現在では大震災以前と変わらない生活を送ることができています。大きく変わったことは、災害に対する意識が余計に強くなったことだと思います。東京に住む私たちでさえもある程度の規模の地震を経験したことは、大きく影響していると言えます。そうは言っても、もともとが地震の多い島国なのですから。。

我が家でも今まで準備をしたことのなかった防災グッズを用意しました。いざと言うときに、何を持って避難所へ行くべきなのか…また東京に直下型大地震が来た場合、家の中はどのくらい凄い状況になるのか…想像を絶します。
取りあえず必要な物を用意したつもりでも、リュックサックはパンパンで、そんな重い荷物を持って、地震後の不安定な建物の10階から非常階段を降り、しかも避難所まで歩かなければならないのですが、果たしてできるのでしょうか。。。

せめて飲み水だけでも常に確保しておこうと、ペットボトルの水は用意するようになりました。原発の影響で水の安全性が問われていますので、できる範囲で料理にも利用しています。
特に乳幼児や成長期の子供を育てている場合は、気にせざるを得ない状況です。友人たちと話をしていると、どのママたちも情報に過敏で神経質になりすぎている感じはします。将来の我が子の健康を守るためにも親は必死なのです。

私たちにできること、しなければならないことは、やはり節電だと思います。我が家の先月の電気料金がその前の月に比べて20%下がりました。単純な比較はできませんが、地震直後からの計画停電のこともあり、エアコンの利用は極力控えました。寒い場合は上着や毛布を膝にかけて、なるべく点けないように心掛けました。友人とメールで連絡を取ると、やはりその友人もエアコンの使用を控えているとのことなので、何とか切り抜けることができました。自分だけが…と思うと辛くなるところですが、同じように考えている人がいると分かると安心できるものです。

経済産業省の4月21日の発表で今夏は、一般家庭で15%の節電が必要とありました。今の季節は過ごしやすく日中も丁度良い暖かさなのですが、これからやってくる梅雨と夏の蒸し暑さを考えるとどこまで節電に取り組めて、果たして耐えられるのか心配なところです。

街の派手な照明や大型スクリーンからの賑やかなコマーシャルが消えて、個人的には静かで良くなったなと思う面もありますが、デパートや飲食店を始めとするほとんど全てのお店が節電をしなければならない状況は少し寂しい感じもします。

先週、夫がアメリカ出張から戻ってきました。イースター休暇中だったので、娘が以前通っていた学校はちょうど休みでした。多くの家族はどこかに出かけます。サンノゼは相変わらず、明るくのんびりした街だったそうです。

先月からサマータイム“Day Light Saving Time”に入っていますので、昼間の時間が1時間長いです。これから夏に向けて外出の機会が増え、パーティーや様々なイベントも盛んでしょうから、経済的な効果も期待できる季節だと思います。

カリフォルニアへ引っ越しをした7年前の夏、昼間がとても長くて驚きましたが、その分、外出していても安心で、気分的にも明るくなり、結果としては毎年夏を楽しんでいました。小さな子供にとっては、何時までも公園で遊びたい(夜8時を過ぎても明るいので)気持ちが強くて家に帰りたがらないことや、まだ外は明るいのに寝る時間になってしまうなど、なかなか慣れない部分もありました。娘の学校の友だちの中には、「外が明るいので宿題ができない。」とママを少し困らせるような、でもとてもユニークなことを言う子供もいました。

既に日本の企業の一部では、サマータイム制度を独自に取り入れているとのニュースを知りました。しかし社会全体が統一しないと、仕事で他社と関わる限り、結局あまり変わらないような気もします。かえって残業時間が長くなってしまうことなども言われています。
メリットとデメリットが多く言われていますが、多民族国家のアメリカで実施できているのであれば、日本でも可能ではないかと思います。導入時の混乱は避けられないかもしれませんが、現在のこのような状況であれば、思い切って実施してみることも必要なのではないでしょうか。

昼間の時間が長い方が、旅行者にとっては滞在しやすいのではないかと思います。一年のうちでも過ごしやすいこの時期、それに私も大好きな新緑が美しいこの季節にたくさんの旅行者が再び日本を訪れる日が来れば嬉しいです。

2011年4月21日木曜日

Happy Easter

Summary:We don't have fun events like the Egg Hunt in Japan. I only see some chocolates for Easter at shops.
However, I found a little Easter event, which is a flower arrangement for kids. It held at a flower shop last weekend, so my daughter made an arrangement there.
We used  to go to the park to join the Egg Hunt every year. Also, we went to our friends house to dye and decorate eggs in California. My daughter said it was really fun. This was an exciting spring event for her.

April, 2009
先日のブログにも書いたとおり日本で春の訪れを感じるのは桜の開花頃ですが、アメリカではイースター“Easter”(キリストの復活祭)のようです。Valentine's Dayが終わると、お店の中は一斉に春のデザインに変わります。アメリカのイベントは濃い色のイメージ(クリスマスは赤と緑、ハロウィンはオレンジと黒など)が強いですが、イースターで使われる色彩は、黄色やオレンジやピンクに黄緑などの淡い色で、デザインはうさぎやひよこにたまごなど可愛らしいものが多いです。春のイメージカラーは日米共通なんだなと、毎年見ているだけでわくわく楽しい気分になったものです。

イースターのためのカードやキャンディーやバッグ、それに春らしいデザインの小物など、お店には数々の品物が置いてあります。プラスチック製のたまごやたまごに色を付けるための道具セットもたくさん売っています。

子供服のお店では、たくさんのカラフルなドレスを見かけます。Easter Sundayの当日は、子供たちは春らしいふんわりしたロング丈のドレスを着て教会へ行きます。

日本では一般的にイースターのために何かをするということはないので、カリフォルニアへ行くまでは全く何も知りませんでした。最近では、イースターのデザインのお菓子を見ることがありますが、アメリカにあるようなテーブルウェアや小物などを見かけることはほとんどありません。

April, 2011
先週、娘はお花屋さんの子供向けイベントでイースターのアレンジメントを作りました。春らしい黄色のガーベラやオレンジのアルストロメリアと白いカーネーションを使い、たまごの飾りは水色の粘土で小さくたまごの形に作ったもので、竹串に刺して最後に飾りました。日本ではEgg Huntのような楽しいイベントはありませんので、懐かしく思い出しながらダイニングテーブルの上に飾っています。




Murdock Park
April, 2006
Egg Huntに初めて参加したのは、San JoseのMurdock Parkでした。公園には教会のボランティアの方が写真を撮ってくれて、帰りにはプリントした写真をもらって帰りました。このイベントも全て教会のボランティアの方々によって催されていました。

この時期のショッピングモールにはEaster Bunnyがいて、小さな子供たちが写真を撮っている様子をよく見かけます。春の人気者といったところでしょうか。

イースターのイベントは、私たちの住んでいたコミュニティーでも毎年開かれていました。事前に、Egg Huntのボランティア案内のチラシが回ってきて、「プラスティック製のたまごがある方は持ってきてください」とか「たまごの中にキャンディーや小さなおもちゃを詰める係」や「当日、たまごを準備する係」などのボランティアを募集していました。

Egg Hunt
April, 2006
色とりどりのプラスチック製のたまごが芝生や少し離れた茂みの中や木の幹や根元にもたくさん置いてあり、それを子供たちは一斉に拾い集めます。開始時間の少し前に、年齢の幼い子供たちが呼ばれて、次に少し大きな子供たちというように年齢順に並んで待ちました。
娘が幼い頃は、一緒に芝生の上のたまごを拾い集めるのを手伝っていました。子供と同じように見つけて拾うだけのことですが、意外に大人も夢中になって楽しんでいました。
当時の娘は、たまごよりもおもちゃを集めることに興味があったようです。

つい先日、Valentine's Dayでたくさんのキャンディーをもらったと思ったら、どの子供もまたバッグ一杯にキャンディーや小さなおもちゃを抱えて満足そうでした。

ある年、友人のHeidiに招かれて、初めてたまごの色付け“Egg Dye”をしました。ゆでたまごに専用の染料で色を付けて、絵を描いたり、シールを貼ったりします。子供たちはアートを楽しむ感覚で熱心に飾り付けをしていました。

イースターの朝、子供たちは起きると家の中や庭へ出て、Easter Bunnyによって隠されたというたまごを探し回るそうです。また、お菓子やおもちゃの入ったイースターバスケットももらえるので、子供にとっては幸せな日曜日だと思います。

大人の優しい遊び心が、子供を楽しくさせるアメリカならではの習慣だと思います。日本ではなかなか出来ないことかもしれませんが、楽しい思い出のイベントの一つとしていつまでも娘の心の中にも残っていることと思います。

2011年4月17日日曜日

The Ballet Recitals

Dance Attack!
Sunnyvale, CA
日本へ帰国して始めてのバレエ発表会がありました。バレエ学校に入学したのは、昨年の7月です。帰国直前の6月最初まで、カリフォルニアのバレエスクールに通っていたので、あまり間を空けないで続けさせたいとも思い、近所のバレエ学校の見学をしてからすぐに入学することを決めました。

小学1年生と2年生が一緒のクラスでしたが、初めて練習を見学したとき、一人一人が真剣で全員のレベルの高さに驚きました。その日の生徒は、1年生と2年生が合わせて22-23人くらいいたと思いますが、先生はメインの先生1人とアシスタントの先生2人が個人別にとても丁寧に指導していたのが印象的でした。

発表会の1ヶ月程前に東日本大震災が発生し、追い込みの練習時期にもかかわらず、翌一週間は休校となってしまいました。娘の学年は練習が再開しても直前まで全員が揃いませんでした。12人で踊るので、先生方も子供たちにとっても練習し難い状況だったと思います。どうにか本番では、全員揃って舞台に立つことが出来て、全員が堂々と踊っていました。一度切りの本番ですので、もう一度やり直すことなどできません。練習では上手く踊れたいたはずが…本番で少し上手くいかなかった娘は、舞台上での本番の難しさに多少気付いたようでした。(と思いますが…)

4月に入っても、M7規模の余震が続く中、発表会のあった週末だけはどうにか大きな余震もなかったのは幸いでした。そして週明けの月曜日、震災から丸1ヶ月が経過して先月の出来事を再び思い返していたところに、M7.1の余震が福島で起こり、東京も震度4の揺れがありました。また写真立てが棚から落ちて来ました。本当にもうこれ以上、被害が大きくならないことを祈っています。。

Memorial Park
June, 2006

娘のバレエの発表会の話に戻りますが、初めてステージに立ったのは、3才半の頃です。当時通っていたDance Attackでは、年度の終わり(夏休みに入る前)にリサイタルがありました。その年は、Memorial Parkの野外ステージで"Penguin Dance"をタップシューズで踊りました。Ballet&Tap Classにいたので、バレエとタップダンスの両方を習っていました。幼いころから娘はあまり緊張するタイプではなかったようで、むしろ楽しく踊っていたようでした。小さなペンギンたちのお遊戯みたいで、それぞれが自由に踊っていました。

Foothill College
June, 2007


翌年は、Foothill CollegeにあるTheatreでの本格的なステージ上で初めて踊りました。そのときは、バレエシューズで"What a wonderful world"の曲に合わせて踊りました。3-4才のクラスなので、まだみんなあどけなくてでもとても一生懸命で可愛らしかっです。
リハーサル1日と本番が2日ありました。





Memorial Park
June, 2008

Dance Attackでの最後の年は、再びMemorial Parkでの野外ステージでした。初夏のシリコンバレーは太陽が眩しくジリジリ照っているので、とても暑いです。娘は、Ballet&TapとPre-balletの2クラスを取っていたので、2度出演しました。







Memorial Park
June, 2008
Dance Attackでは、小さな子供でもクリスマスイベントでダウンタウンのストリートショーに出たり、老人ホームで踊ったこともありました。舞台経験だけは人並み以上かもしれません。

娘は踊りが好きで、Dance Attackに行き始めた2才の頃から、家の中だけではなくて外出先でも踊っていました。娘が3才頃のことだったと思います。ある日、娘とTargetに買い物へ行くと、いつものように娘は広い店内を自由に踊っていました。するとアメリカ人の女性に"I love your dance!"と声をかけられました。でも気持ち良く踊っていた娘の反応は、"………"で、ちょうど自我が芽生えた時期で難しい性格(?)だったのか、すっかり気を悪くしてしまいました。せっかく褒められていたのに…

娘がダンスを本当に好きになったことのきっかけは、"Shall We Dance?"だと思います。アメリカで買ったRichard Gere主演の映画で、Jennifer Lopezの華麗なダンスを毎日のように何度も繰り返し観ていました。個人的には草刈民代さんの日本版の映画も好きですが、アメリカ版にはアメリカらしいユーモアもあって多少違う設定場面もありますが、家族で楽しめる内容だと思います。

娘が5才半の頃には本格的にクラシックバレエを習わせたいと考えて、Western Balletに通うことになりました。Western Balletでは2年間、年末の"The Nutcracker"以外にも"Children's Recital"に2度出演しました。華美な衣裳ではなく、練習用のレオタードで、踊りも練習曲を中心に作られたものでしたので、日頃の練習の成果を発表するのが目的のようでした。
当然、参加費は必要諸経費程度で、日本の豪華なバレエ発表会と違って、低学年の生徒らしい質素なものでした。

今はマンションに住んでいるので下の階のご家族に私の方がとても気を遣いますが、それでも娘は気の向くままに踊っています。
今まで経験したバレエスクールでは、たまたま娘の年齢と興味やそのクラスの先生との相性が良く、楽しく通うことができました。
これからは技術的な練習がたくさん必要となります。小学校3年生になり、練習内容も昨年より難しくなりますが、何時でも何処でもバレエが好きである限り、これからも続けてもらえればと思っています。

2011年4月5日火曜日

The cherry blossoms “Sakura” are blooming and Spring has come!

Summary:Every April is a beginning of the year for the schools and the companies in Japan. They have ceremonies for the new students and the new recruits when the cherry blossoms “Sakura” are blooming. My daughter never had ceremonies at Preschool and Kindergarten like Japanese schools.

Every year we go to the park to watch the cherry blossoms and have a party for drinking and eating some foods. On the other hand, there wasn't a party like Japan in the U.S..
I am looking forward to seeing the season of cherry blossoms this year. However, we have to hesitate to have a party with cherry blossoms because there are still many disaster victims from the earthquake and the tunami.

We went to the cherry blossom festival in Cupertino, California some times. There were some Japanese cultural events during the festival such as foods, shops, Japanese Tea Ceremony, Japanese Classical Dance, Aikido and Taiko Drum. One of my friends told me that she loves Taiko Drum. It looked like popular whenever I see the Taiko Drum show.

The cherry blossom is a seasonal tradition and also a bridge between Japan and the U.S.. I hope that many American people will visit Japan and enjoy the cherry blossoms in full bloom in the future.

Cherry Blossom in Tokyo
April 4, 2011
長い冬が終わり、少しずつ春の訪れを感じる季節になりました。東京の日中の気温が15度前後(60F)になると、春らしい暖かさを感じます。
日本の4月は企業や学校にとっては、一年の始まりの月です。入学式や入社式シーズンのためか、4月最初の土曜日の朝、駅前にはスーツ姿の学生や人々が多く見られ、山手線は平日に近い混雑だったので驚きました。

アメリカでは春の訪れをイースター“Easter”(キリストの復活)と共に祝います。また学年が進級する新学期は夏休み後ですので、日本とは大きく異なります。
かつて娘のプリスクール*の初日には日本のような入園式はありませんでしたし、キンダーガーテンの始まりの日にも入学式はありませんでした。初日には学校で予め用意するように指定された文房具などの持ち物を持って、そのままクラスへ向かいます。娘は自分の名前が机の上に貼ってあったので、見つけるとそこに着席して始業時間まで待っていました。
一方で娘は小学校1年生のとき、サンフランシスコ日本語補習校にも入学したので、日本の伝統的な入学式を体験しました。在校生に迎えられ、学校の体育館ではきちんと整列して校長先生などのお話を聞きました。

暖かい日が続くと東京では4月の初めには見頃を迎える桜の花は、今年は場所によってはまだ蕾の方が多いほどです。入学式は4月2週目からの所が多いので、桜の満開時期と重なるかもしれません。

東日本大震災直後ということもあり、毎年恒例のお花見と称した宴会は自粛モードという報道もありました。 この時期は新入生や新入社員を歓迎する意味で開かれることが多いので、主催する側も身長に検討する必要があると思います。
個人的には久しぶりに桜の季節を日本で迎えられるので楽しみにしていましたが、こういう時期ですので被災地の方々のことを考えつつ、桜を楽しむべきではないかとも思っています。

カリフォルニアでは日本のように巨大で立派な桜の木を何本も連なって見ることはありませんでした。サンフランシスコの通りにも桜の木はありますし、公園でも所々、見かけます。けれども日本でよく見られる光景である桜の木の下でレジャーシートを敷いて座り込み、お酒を飲んだりお弁当を広げたりすることはありません。歌を歌ったり踊って騒ぐことなどは考えられないことです。

毎年、CupertinoにあるMemorial Parkでは、Cherry Blossom Festival**が開催されます。と言っても、その桜祭りが開かれるのは4月下旬か5月初旬です。その頃にはすっかり暖かくなっているシリコンバレーでは、桜の咲く時期はとっくに過ぎています。初めてそのお祭りのことを知ったときは、日本のお花見のイメージが強くあったので、とても違和感がありました。お祭りは2日間開催され、公園には日本やアメリカの食べ物、雑貨などたくさんの出店で賑わっていて、ステージではお琴や尺八や三味線、それに和太鼓の演奏、合気道のパフォーマンス、茶道や日本舞踊にフラダンスなどが催されます。出演者は、日系アメリカ人や日本人に加え、もちろんアメリカ人などもいます。

Nihonmachi Street Fair, San Francisco
August, 2007
ある年、友人たちとステージを見に行ったとき、そのうちのアメリカ人の友人が、“I love Taiko Drum.”と言っていました。確かに太鼓の演奏のときには、あちこちから大勢観客が集まって来ました。日本人である私も聴き入ってしまうほどの荘厳な太鼓の音色が、遠く離れた地でも日本の伝統文化として受け入れられていることにとても嬉しく思いました。和太鼓演奏をよく知らない娘もとても気に入っていたようで、サンフランシスコの日本町で開かれていたNihonmachi Street Fairにたまたま行ったとき、和太鼓の演奏が始まると立ち止まって演奏をじっと見つめ、その音色に聴き入っていました。日本人としての本能なのか、アメリカ人的な感覚で日本文化に興味を示していたのか…どちらにしても和太鼓は人々の心を強く惹きつけるのだと感じました。

合気道は厳格な武道としてのイメージがありましたが、そこではアメリカの音楽に合わせて、ショー仕立ての演出になっていました。全てが日本ならではの方法ではなくても、アメリカにいる多くの観客が興味を持つ楽しい演出でパフォーマンスを披露することが日本の文化を広めるきっかけとなるのだとも考えさせられました。

桜は日本の風物詩としてだけではなく、アメリカにおいては日本文化を広めるための大切な役割を十分に果たしています。でもいつか、アメリカに住む多くの人々にも日本の素晴らしい桜を観てもらえる日が来ればと願っています。

被災地の皆様にとっても、桜の花が疲れた心身を少しでも癒すこととなりますことを願っています。

*プリスクール:ブログ内 Playdates make you learn more about America 参照

**Cherry Blossom Festival:他にもサンフランシスコのJapan Town Northern California Cherry Blossom Festival 参照

2011年3月28日月曜日

Aftermath of the Earthquake

Summar:For the past two weeks, I was impressed by the word “Sougofujyo” in Japanese which means to help one another.
There are over 19 million people at the evacuation places such as city halls, schools, hospitals and so on. They are helping each other politely to live with no fights everyday.
We are having many supports from 133 countries plus 39 international organizations. I am very glad to hear this news on the website of Ministry of Foreign Affairs of Japan.
I watched on TV that the New Jersey elementary 3rd graders sang “We are the World” for Japan. This will be encouraging the people which are at the evacuation places.
It is a panic buying water bottles, rice, canned foods, toilet papers and gas and more and more around Tokyo.
We have a serious concern about the nuclear power plant which was affected because our lifelines are impacted by the accident related to the electric power, water and more in the future ...
We have to share the right information and take right actions to live safely.

東日本大震災から2週間が経過しました。毎日、テレビやインターネットでは震災に関する様々な報道がされていますが、“相互扶助”という言葉がとても印象に残りました。

現在も避難所には19万人以上の人々が一時的な生活を余儀なくされています。東京23区の人口と比較すると、港区や渋谷区や荒川区に値する規模です。その数を知るだけでも、そこで生活している数多くの方々の不便さや不満や不安などを始め、底知れない苛立ちをも察することができます。

今年は春の訪れが遅く、東京でも未だにダウンジャケットやマフラーが必要なくらいの真冬並の寒さです。被災地の天気予報では気温が氷点下を示しています。きっと体調を崩されている方の数は日ごとに増加していることだと思います。
病院の復旧も遅々として進まないなかで、廊下で治療を受けたりベッドではなく床に横たわる方々の姿がとても痛々しく伝わって来ますし、その状況の中で必死に医療活動を行う先生方の様子もメディアを通して伝わって来ています。薬不足も深刻な問題になっています。

救援物資が直ぐには届かず、自分たちの手で立ち上がろうと、家にある食材を持ち寄り、おにぎりや温かいお味噌汁を数百人分作っている被災者の方々の姿がテレビに映し出されていました。その時点で、多くの方々のご家族や親戚や知人など行方不明で気も休まることのない状況でも、人々は助け合い、懸命に一歩ずつ前へ進もうとしている姿に感銘を受けました。

震災直後に日本国内に限らず世界中から被災地へ支援の手を差し伸べる動きが始まりました。地震のあった翌12日には世界の50もの国から、それがさらに広がり、世界の133の国・地域および39の国際機関等から支援の申し入れがあったということを外務省の報道(2011年3月25日 23時00分現在)で知り、自分のことのようにとても嬉しく思いました。

海外の様子を伝えるテレビ番組では、復興への願いを込めて折り紙300枚分の鶴を折っている映像や、ニュージャージー州の小学校の3年生100人が、日本の国旗をイメージした赤と白のTシャツを着て、“We are the World"を歌っている様子が放送されていました。学校で災害について話し合ったり、被災地の人々を思い何かメッセージを送ろうと行動してくれるその気持ちが大きな励みになるのではないでしょうか。その映像が一人でも多くの被災地の方々に届けば良いなと思います。

日本のニュースでも海外から見た日本については度々取り上げられていますが、カリフォルニアに住む日本人の友人からも日本人の礼儀正しさや忍耐強さについて報道番組で流れていたというメールが来ました。その内容は次のとおりです。

-----ABC、NBC、 CNNなど報道番組で日本人の礼儀正しさや忍耐強さ等々がニュースとなっていたことには日本人としてとても誇りに思い、日本国外の人達に日本人の良さを再認識して貰えて嬉しく思っています。その報道番組を見たのでしょう、普段無口なアメリカ人のクラスメイト達が私に“日本人は素晴らしい”と言ってくれたのはちょっと“うるうる”とくるものがありました。-----

日本から遠く離れた場所に住む友人も日本に家族はいますし、毎日ニュースを欠かさず見て、震災のことをとても気にかけています。また日本への一時帰国も考えていたそうですが、一旦はキャンセルをして航空チケット代の返金分を義援金として日本赤十字社へ寄付したとありました。

今回の震災のニュースをきっかけに東京に住む私にも多くのカリフォルニアの友人たちから励ましのメールが届きました。
-----とても心配しています。何かお手伝いできることはない?何か不足しているものはない?日本に何か送りたいのだけど。アメリカに来たら家に滞在して良いよ。日本のために祈り続けます。などなど-----
アメリカに住む友人たちは今回の震災の義援金のことについて色々と調べてくれて、Facebookの中で情報をシェアしています。一人一人ができることは小さく限られているかもしれませんが、きっと誰かを助け励ましていることでしょう。

関東地方では物品の買いだめや原発に伴う放射性物質と水の問題など、今後も長期に渡り困難な状況が続くであろうと考えられます。情報を慎重に受け止めて、どのように対処すれば良いかを考えて行動しなければいけません。

私の友人の親戚が岩手県の陸前高田市と大船渡市の奥地に住んでいるそうですが、道が通行止めでバスが通らず、家から街へ出ることができない状況だそうです。その土地へは物資も運ばれないので、残り少ない食料や生活用品の在庫に焦りと苛立ちを感じているそうです。地震の前に来ていたヘルパーさんも来ることはできません。ガソリン不足も深刻な状況です。交通事情の困難な東北地方へは東京からは迎えにも行けず、町役場に問い合わせをしても人手が足りず、それでも順番に対応してくれるのを待つしかない状況なのだそうです。このままでは危険な状況に陥ってしまうかもしれないと思うと胸が痛みます。

この震災がもたらした被害の爪あとは一体どこまで広がっていくのか…不安の続く毎日ですが、こういうときだからこそ、しっかりと地に足をつけて生きたいと思います。

2011年3月20日日曜日

Japan Earthquake Experience on March 11th, 2011

Summary:We had a 9.0 magnitude earthquake on March 11th, 2011 in northeast Japan. The mega tunamis affected us a tremendous disaster. I was in Tokyo, but I never felt such a huge earthquake. My house was a mess. After a week later, we still feel middle size aftershocks everyday.
When the earthquake happened, my husband couldn't come home because all of the trains stopped. I was so nervous and had some fear at the same time.
Also we couldn't use phones or cellphones. However, I could use e-mails and facebook from my iPhone, so my friends encouraged me a lot on the internet.
Please pray for Japan to restore as soon as possible.

今回の甚大な災害について、ご家族を失くされた被災者の方々に寄せる言葉さえも見つかりません。一日も早い復興を切に願うばかりです。
被災地からは遠く離れた東京での小さな経験に過ぎませんが、大地震発生から一週間が過ぎようやく気持ちが落ち着いて来たので、今後また起こりうるだろう災害のためにその記録をここに残したいと思います。

小学生の頃に担任の先生から聞いた1923年9月1日の関東大震災(M7.9)の話は今でも強く印象に残っています。関東大震災から約88年後の2011年3月11日午後2時46分、それが身近で現実のものとなりました。当時、60年に一度、関東地方を中心に大地震があると騒がれていましたが、その日がやって来たのは、30年近く経ってのことでした。

Messy Room
マンションの10階部分にいた私が最初の揺れを感じたときは、何時もの震度2〜3程度かなと思っていましたが、小刻みな揺れから、次第に揺れが強くなり始め、めだかの入っているガラスの鉢の中から水がチャポチャポ飛び出すのを見て、「今回のは大きい!」と思いました。ややパニックになっていた私はどんな行動をしたのかはっきりとは思い出せないのですが…家全体がギシギシ音を立て、まるで大きな船に乗っていてそれが波に揺さぶられるかのような大きな揺れでした。

いつもの地震以上に長く感じた揺れが収まったので、とにかくテレビで今の地震の情報を得ようとしました。その時点の報道では、M8.8(後にM9.0に修正)、宮城で震度7、東京23区は震度5弱(一部では震度5強)でした。でも10階での揺れ方は、体感だと震度5弱を上回る大きさだったと思います。

咄嗟に娘のことが心配になりました。この地震の3分ほど前に、娘は小学校の公衆電話から「学校で放課後遊びをしても良い?」という電話をかけてきたところで、クラスのお友だちの何人かも一緒に学校に残っていることはわかっていたので、とにかく無事だろうと思いました。このときには、まだ周囲の被害状況もわからなかったのですが、部屋の電気はついていて建物自体は無事だったこともあって、娘はいつものように帰って来るものだと考えていました。

散らかった家の中を片付けようとしていると、3時15分頃、次の地震が襲って来ました。2度目も感覚としては1度目と同じように強く揺れました。ニュースでは茨城県でM7.4、震度は6弱、東京は震度4程度のようでしたが、1度目と同様にギシギシという音とともに揺れを感じました。さすがに2度続けてともなると恐怖感と高揚感で、食器棚を押さえながら「お願い、止まって!!」と叫んでいました。

もちろん、こんなに大きな揺れをしかも2度続けて体験したのは人生で初めてのことです。リビングに居た私は、置き時計や写真立てが落ち、立てかけてあった絵が倒れ、ワインが棚からゴロゴロと転がりあっという間に落ちて行くのを見ました。キッチンでは、冷蔵庫の上にあったケーキ型などの軽いもの、食器棚の上のシリアルの箱など、落下しても比較的安全なものばかり落ちたのですが、冷蔵庫はドアが開き、もう少しで中身が出るというところでした。キッチンの上には、たまたまブリタの容器に水を入れたままで置いてあったので、それが見事に床へ落ち水が流れ出してしまいました。

一旦、揺れが収まったので、この2度の突発的な惨事に唖然としていたものの、すぐに娘のことが頭に思い浮かびました。「これは迎えに行かなければ。」と思い、娘と一緒に遊んでいたはずのお友だちのママに電話をしてもつながりません。携帯でメールも送ってみましたが、返事は来ませんでした。

ニュースではすぐに東北地方を始め広範囲で大津波警報が出ていました。またお台場のすぐ近くで火災が発生している様子がテレビで流れたので、家から見える範囲では火災が起こっていないか窓から確認しましたが、幸いなさそうでした。

洗面所は一部で引き出しが開いて、中身が飛び出していました。家具は倒れませんでしたが、箪笥の上の小物は床に飛び散っていました。比較的軽い姿見は最初の地震で簡単にバタンと倒れる音がしましたし、やや重量のあるゴルフバッグも2つとも見事に倒れていました。
娘の部屋に行ってみると、部屋中に本棚の中の本類が散らばっていました。本棚自体は特に下半分が重いので、倒れなかったようです。それでも、本棚は20cmくらい前にずれ、寝室のダブルベッドもやはり20cmくらい前にずれて、食器棚は真横に15cmくらい動きました。一番軽いCDラックはガタガタしていて、薄型のテレビ(42インチ)もいつ倒れてもおかしくはなかったのですが、本当に無事でよかったと思いました。ちなみにテレビにはテレビ台はなく床に直置きしています。

Fire-King
所々、落下物によって床に傷は出来たものの、壊れたのはFire-Kingのジェダイのバターカップだけでした。コーヒーテーブルの下の飾り棚部分に置いてあったものですが、下から15cmほどのガラス棚から床にドスンと落ちてしまい、残念ながら真っ二つに割れてしまいました。
食器棚の食器やキッチンの備え付けの棚に入っているグラス類は幾つか傾いてはいたものの、破損はありませんでした。本当にラッキーでした。
最後にトイレへ行ってみると、タンクから水がこぼれ出ていて床が濡れていました。

後日、同じマンションに住む方々と話をしましたが、同じフロアの方は、ガラスの食器棚が倒れて壊れてしまい、本棚も倒れたそうです。下の階の方も家具が倒れたそうです。またゴミ捨て場には割れた食器がたくさん捨ててあったので、我が家よりも被害の大きかった人も多くいたようでした。他のマンションでは、冷蔵庫やテレビが倒れたという話も聞きました。

たまたま住んでいる部屋の向きで揺れの方向が違ってくるので、家具の倒れ方にも違いがあったのかもしれません。もしくは我が家の食器棚にはびっしり食器が入っていて、普段から棚が弓なりに曲がるくらい重かったのが良かったのかもしれません。地震のときは、危険のない程度に出来る限り食器棚の扉が開かないように押さえていました。これが震度6以上だと、恐らく自分自身が立っていられないので、食器棚から食器が出てしまったり、本棚が倒れてしまうことがあったかもしれません。

揺れが落ち着いて、取り急ぎキッチンの床にこぼれた水やめだかの水槽から出た水を拭いて、急いで娘を小学校まで迎えに行くことにしました。でもこの間も余震のことが気になり、とても不安でした。友人に電話をかけても通じません。携帯電話ばかりでなく固定電話もかかりませんでした。もちろん、メールの送受信もできませんでした。

娘を無事、小学校で引き取ることができたものの、夜間、急な停電やガスが使えないといけないので、多少の食料品や水を買ってから帰宅しました。エレベーターは自動停止していたので、非常階段で両手に荷物を持ちながら上がりました。

夕方には携帯のメールが使えるようになり、夜6時過ぎに固定電話は復旧していました。
両親からは夜に連絡が取れました。私の両親は新宿にいたので、そこから2時間かけて歩いて帰宅したと電話で連絡がありました。
日頃からウォーキングを心がけている60代後半の両親は、まさかの災害時のことをも想定していたので、怪我もなく歩いて帰ることができたようです。

両親の家は3年くらい前に耐震工事を済ませていたので、物が落ちたり倒れるといった被害が全くなかったそうです。2階建ての家屋で、物はたくさんありますが、こんなにも被害の状況が違うのだということが分かりました。

その日、夫は年に数回あるかないかの大船(神奈川県横浜市)での研修に行っていました。テレビでは電車が全線不通となり、無理な帰宅をしないで会社に留まるようにと報道しています。そのとき、夫は今晩は帰宅できないだろうなと思いました。大船から自宅まで40kmはあります。途中、多摩川などもあり、とても歩いて帰る距離ではありません。通常のオフィス勤務だったら、家から約7kmのところにあるので歩いて帰れたと思うのですが。。災害時にそれぞれがいた場所で、家族がすぐに会えるかどうかが決まってしまうのだと実感しました。

大船駅で帰宅難民となった夫は、一晩を鎌倉芸術館で過ごしました。毛布が支給されて、廊下の椅子で休んだそうです。しかも最初の3時間くらいは停電していたそうです。翌朝7時に電車が動き出し一斉に帰宅ラッシュが始まったそうです。自宅に帰って来たのは、地震発生時から21時間が経過していました。

Traffic Jam
 車による渋滞は深夜まで続いていました。自宅からは首都高速を眺めることができるので、いつもとは違う状況がはっきりとわかりました。車はゆっくりと前に進み、ずっと先までライトが光っていました。都内にいた人でも、夕方3時半に出て夜11時半に帰って来たと話していました。

余震が頻繁に続く中で、娘と一晩を過ごすのはとても不安でした。結局、一晩中テレビを見ながら、うとうとしていたものの熟睡することはありませんでした。

午前3時59分、再び強い揺れで目が覚めました。長野でM6.6、震度6強でした。東京は震度3程度だったと思いますが、まだ夜の明けない時間帯の地震は恐怖です。3度目ともなると、日本列島がどうにかなってしまうのかという新たな不安を感じました。

テレビで刻々とわかってきた震災や津波の状況、地震の発生メカニズムなど、見ているだけでも恐怖でした。そんな中、私を助けてくれたのは、e-mailとFacebookでした。

iPhoneを利用しているので、携帯の電波が届いている限りインターネットには接続できます。たまたま娘を迎えに行く直前の3時46分頃にGmailを確認すると、カリフォルニアに住む日本人の友人から津波を心配するメールが届きました。誰とも連絡が取れていない私は、そのメールを見て少し気持ちが落ち着きました。
それから、iPhoneでFacebookにもカリフォルニアの友人たちからメッセージが届いているのも確認しました。しかも最初のメッセージを受信した時間は3時17分です。地震からわずか30分ほどのことでした。
両親や近所、それに東京にいる友人たちとも携帯メールでは連絡が取れない不安な状況だっただけに僅かながらも救われた気持ちがしていました。
夫とは夕方に一度、夫の会社のメールとGmaiを使って安否確認ができたので、一先ず安心をしていました。

夜になると娘は日中の気疲れからか、何時になく7時過ぎには眠ってしまいました。食事も取らず、何度起こしても目が覚めませんでした。私もニュースで徐々に分かってくる津波の様子を見ているだけで…もう胸が一杯一杯で…何も食べることはできませんでした。

それでもFacebookに大地震のことと夫が帰宅できない状況を載せると、すぐにアメリカの友人たちから安否を気遣うコメントが帰ってきました。そのやり取りが、私の不安と恐怖をいくらか取り除く助けになったと思います。それはGmailを使ってのメールのやり取りでも同様でした。

地震発生後、Facebookでアメリカ人の友人が日本のホストファミリーと電話連絡が取れないので、Facebookを通じて何とか連絡を取りたいとのコメントがありました。その2日後くらいには連絡が取れたとコメントがあったので、それを読んでほっとしました。

電気が通っていても固定電話がつながらない、しかも携帯電話はパンク状態でしたが、災害発生時にインターネットというもう一つのネットワークによって救われた部分が非常に大きかったです。こうした経験をした人は少なからずいると思いますので、新しい安否確認のための緊急ツールとなるかもしれません。こうした災害をきっかけに、今後のスマートフォンの普及を後押しするのではないでしょうか。

2011年3月11日金曜日

Japanese White Day is our Wedding Anniversary

Summary:We have an event called White Day on March 14th besides Valentine's Day. White Day is to return sweets like cookies, chocolates, candies, marshmallows or cakes when he receives chocolates from someone else on Valentine's Day. But he needs to gift his lover something else like an accessory besides sweets. It is one of Japanese cultures which came from confectionery industry to sell chocolates and candies much more.

Japanese like to give gifts from their trip. However we like to return gifts (okaeshi) to them when we go on trips. I think it is besed on Japanese considerateness to our friends.

By the way, our wedding anniversary is March 14th. We don't need White Day since our wedding.
We went to Napa Valley as our 10th anniversary. It was a wonderful anniversary with “sweet my daughter” even though my husband didn't give me “sweet 10 diamonds”.


Robert Mondavi Winery
March, 2008
 日本では、2月14日のバレンタインデーに対して、3月14日にホワイトデーがあります。一方、アメリカの3月14日は特別なイベントの日ではないですし、バレンタインデーのお返しをするという考えはありません。
今頃は、バレンタインデーでチョコレートをもらった(もらってしまった)のでお返しをしなければならないというプレッシャーを感じている方々が多くいるかもしれません。

今年のバレンタインデーの日、夫は珍しくどこからかチョコレートをもらって来ました。お返しはどうするのかな?と何となく気にかけてはいますが。 アメリカに住んでいる間は、バレンタインデーで他人からチョコレートなどをもらったことはなかったので、お返しの習慣のことなど考えているのかどうか…ところで、このお返しをしなかった場合、「義理チョコ」をもらった夫は「不義理」のレッテルを貼られてしまうのでしょうか。。
しかもホワイトデーはもらったチョコレートの2倍や3倍返しでという話もあるそうで、不景気なご時勢に巷ではまだまだ景気の良い話が飛び交っていることにも驚きです。でも実際のところはどうなのでしょうか。。

頂き物にお返しをする習慣は日本独特の考え方のようです。状況にもよると思いますが、アメリカでは日常で物をもらったりあげたりする習慣はあまりないようです。特にお土産という考え方はないようで、日本人のようにお土産を頂いたので、またお土産でお返しをする…ということはありませんでした。でも私にとってお土産を頂くことは、どんなものでも嬉しいですし、旅先ではいつも友人のために何かないかなとお土産を探して買って帰ります。そもそも、自分のためにも人のためにも、お土産探しが好きなのだと思います。

8才の娘がバレエ教室でいつもお友だちからキャンディーをもらうので、「今日はお返しを持って行く。」といってキャンディーを用意していました。本当はキャンディーそのものを持って行くことが良いのか考えてしまうところですが、子供社会で生きていく彼女なりの友好の証なのかもしれません。

ある日、Baby Shower*に参加しました。妊婦さんはたくさんのギフトをもらいますが、そのお礼に何かの物でお返しするのではなくて、後日、直筆で感謝の気持ちが書かれた“Thank you card”が郵送されて来ました。きっとBaby Showerに来てくれた全員にカードを送ったのだと思います。
日本の出産祝いに対しての内祝いの考え方とは異なりますが、これがアメリカ人のお返しの仕方だと思いました。

ところで、3月14日は私たちの結婚記念日でもあります。そのため、ホワイトデーは結婚して以来、毎年結婚記念日としてお祝いしています。プレゼントはなくても、週末に旅行へ出かけたりレストランで食事をしています。

あるときFacebookでアメリカ人の友人が、「結婚記念日の朝に目が覚めると、枕元にティファニーの箱が置いてあったのよ!!」とコメントしていました。映画のワンシーンのような、現代版のディズニーストーリーのようなその内容に感動し、私はすぐにそのことを夫に伝えました。といっても、残念ながら我が家では起こり得ないことです。。

私たちは数年前に結婚10周年を迎えました。娘は5才を過ぎた頃で、そろそろワイナリー**へも行ってみたいなと思っていたこともあり、ナパバレー“Napa Valley”へ行くことにしました。私たちの訪れたロバート・モンダヴィ・ワイナリー“Robert Mondavi Winery”は、美術館のように素敵な建築で、アートギャラリーや彫像が至る所に置かれていました。

残念ながら、アルコールに強くない私はワインの知識は乏しいのですが、実際にティスティングをしてみると、葡萄の種類で味が違うことが良く分かりました。ワインが嫌いなわけではないので、アルコールに弱いという体質であることがとても残念です。でも、雰囲気だけでも味わえたことは良い思い出となりました。

娘にとっては、遊具などなく、もちろんワインを飲めるわけではないので、ワイナリーの敷地内をぐるぐる走り回っていただけでした。このような状況を見ると、ワイナリーには子供はほとんどいませんし、初めからアメリカ人たちは子供を連れていかないということが分かります。家族用にピクニックエリアのあるワイナリーもあるそうなので、そういう場所を選ぶと家族で出かけやすいようです。

ナパを通る一本道の脇をワイントレイン“The Napa Valley Wine Train”が走っています。私たちはワイントレインには乗車しませんでしたが、いつかは乗ってみたいなと思います。
3月はカラシの黄色い花が一面に咲いていて、ドライブ中にも眺めることはできますが、列車の中からだとまた違う気分で美しい景色を堪能できるかもしれません。3月の気候は少し寒いですが、春らしい季節でした。

ダウンタウンではフェスティバルが開かれていたので、そこでワイン以外にも食べ物を買ったり食べたりすることができて、ライブ音楽も聴くことができました。イベントなどの予定を確認してから、ワイナリーを訪れても楽しいのではないかと思います。

宿泊先は、“River Terrace Inn Napa”でした。建物の裏側に川が流れていて、川の傍のテラス席で朝食をとりましたが、朝からとても清々しい気分になりました。

ずっとナパへ行ってみたいという願いがようやく叶い、素敵な結婚10周年記念になりました。
夫からの“Sweet 10 Diamonds”のサプライズギフトはありませんでしたが、“Sweet My Daughter”と一緒に迎えられたことが何より嬉しくて幸せなことです。

*Baby Shower:赤ちゃんが生まれる直前の妊婦さんのために家族や友人たちで開くパーティーのこと

**ワイナリー:ブログ“食欲の秋を求めて”を参照