2011年9月14日水曜日

Best friend gives a power to study English

Summary:One day, my daughter asked me "How many stars do you need?" I said "Maybe 10 stars." It seemed that this was a psychological test. My daughter's answer was one star, and then, it means a number of best friends. Actually, she had one of her best friends since 3-year-old at preschool.

Finally she met her friend in California this summer and she had a sleepover at her friend's house. After the sleepover, my daughter has been talking in English fluency. This was a quick changed to English from Japanese.

My daughter goes to English school one day a week. She likes to study English and read English books every day. Her favorite book series are Diary of a Wimpy Kid.

It is not easy to keep working. However I hope she will be bilingual and move back to America in the future.

"Diary of a Wimpy Kid" Series
ある朝、娘が「ママ、星をもらえるとしたらいくつ欲しい?」と訊いてきました。簡単な心理テストのようです。私は、「10個くらいかな。」と答えました。娘は、「私は1個。」と言いました。その星の数の意味は、「親友」の数だそうです。娘はプリスクールから4年間ずっと同じクラスだったお友だちと大の仲良しでした。いつもお互いを“Best friend!"と呼び合い、生まれた環境も見た目も性格も全く異なる二人でしたが、お互いにとっての大事な友だちでした。

昨年夏の帰国以来、娘とそのお友だちとは会って話すことはできなかったのですが、iPad2が発売されたときに早速買って、Skypeで手軽に会話ができるようになりました。夏に遊びに行くことは、最初は手紙で知らせて、後からもう一度Skypeで伝えました。最初、話すのは恥ずかしいようでしたが、どんなに距離があっても話すことができるので、便利なツールだと思います。

日本へ帰国後、1年が過ぎても、娘の中ではまだ親友の存在はしっかり残っています。今年の夏にやっとそのBest Friendに会うことができました。家に遊びに行って、Sleepover"お泊まり"もして来ました。娘にとっては第二の故郷でもあるカリフォルニア、そこに幼い頃からの親友がいるというのは素敵な感じがします。そんなかけがえのない親友をずっと大切にして欲しいと思います。

Sleepoverの翌朝、娘を迎えに行くと、彼女の方から勢い良く会話が英語で返ってくるようになりました。アメリカに来てすぐでしたが、感覚は既に戻っているようです。娘は普段の日本語とは違って、英語ではガラッと人が変わったように生き生きしています。子供の環境適応能力が優れているからなのでしょうか。それともこれが本来の娘の姿なのでしょうか…

今後もアメリカのお友だちとのコミュニケーションのためには、やはり英語力は欠かせないでしょう。昨年の夏に港区のとある英語学校のサマーキャンプに5日間参加しました。アメリカのサマーキャンプ同様、キャンプとは昼間に通う"Day Camp"ことを意味していて、泊まりがけの合宿ではありません。その英語学校は、授業形式でリーディング、マス、サイエンス、それにちょっとしたアクティビティを順番に行います。一つの科目は30分ずつですが、小さなインターナショナルスクールのようです。クラスには数人のお友だちがいて、さらに先生とも気が合ったこともあり毎回授業を楽しんでいた様子でした。

小学2年生で帰国して、英語力を保持させるには今の東京(恐らく日本中どこへ行っても)では難しいのが現状です。けれどもきっぱりと義務教育を捨てて、インターナショナルスクールやアメリカンスクールに通わせるのが果たして良いことなのか。試したことがないので分かりませんが、将来の進学のことを考えるとたいていの帰国子女の両親は、子供を日本の公立小学校に編入させると思います。また小学2年生では、私立の帰国子女枠のある小学校を受験するチャンスは残念ながらありません。

アメリカでは、日本語教育を受けるために会社から補助が出るのですが、日本へ戻ってしまうともちろん英語保持のための補助など出ません。もしもそういう外国語補助制度があれば、費用面の負担が減りアメリカンスクールへ通えるようになるかもしれません。これからの国際社会を担うであろう小さな芽を大きく成長させるために、6年間もの英語の基礎がある小さな国際人を育てる方法はないのかなといつも悩んでいます。

帰国子女と一口にいっても、海外のどの地域に何年滞在したか、また何才で帰国したかなど、条件も多種多様ですよね。英語学校の子供たちはその英語力に差があるので、そういう環境の中で勉強させておいても大丈夫なのか…それならばと試しに大手の英会話スクールの個人レッスンを受けさせてみました。すると娘の反応は、今一つ。お友だちのいないレッスンは面白くないのだそうです。。

結局、港区の英語学校には秋以降も週に一度通うことにしました。アットホームで娘はその学校ののんびりとした雰囲気が好きでしたが、今年の4月に小学3年生になり、小学校の勉強が少しずつ複雑になるように、英語の勉強も楽しいだけの生温い環境では身につかないのではと考えるようになりました。ちょうどその頃、知り合いに別な語学学校を紹介されたこともあり、新たにそちらへ通い始めることにしました。クラスは少人数制で、こちら側の要望をじっくりと聞き入れてくれて、毎週適度な量の宿題があります。新しい言葉を習ったり覚えたりすることは、それはそれで娘にとっては大変そうですが、授業は気に入っている様子です。子供は好奇心旺盛なので、チャレンジするくらいのレベルの方が好きなんだと思います。

もともと娘は英語の本を読むのが好きです。本を読むことで、文章を書く力や想像力が養われるようです。本当はもっと文学作品を読んで欲しいなと思っても、娘の興味がある本を繰り返し読んでもらえれば今はそれで十分かなと思っています。因みに一番リピート率が高いのは、"Diary of a Wimpy Kid"の全シリーズです。アメリカで映画"Diary of a Wimpy Kid"も観ましたが…私にはその面白さが分からなくても(当然かもしれませんが…)子供にはとても受けていました。

今のところ、娘の英語は何とか追いついているようではありますが、この先、どのような手段で英語力を高めることができるのか、様々な人からの情報やリサーチは必要かなと思っていますし、簡単なことではなさそうです。何よりも英語を勉強する目的がはっきりしている娘には、これからも末長く続けてもらえればと思っています。

2011年9月6日火曜日

Visit California 〜Udon〜 Now and Then

Summary:We went back to California this summer. We met many friends at friends' houses, restaurants and play parks. Then, one of our important missions was to go to Sumika Japanese Restaurant because my daughter really liked Udon noodle at Sumika. She always says "Sumika is the best Japanese restaurant in the world." So she was very happy to eat Udon noodle twice during our stay.
By the way, I love BBQ and potluck style party in California because it is casual, friendly, fun and easy to see many people at the same time. Thanks to all, we could meet lots of friends and had a wonderful time. I hope we will visit California soon again.

Sumika
August 2011
約1年ぶりに、家族でカリフォルニアを訪れました。今年の初めには夏休みの計画を立てて、4月に航空チケットを取りました。ずっとずっと心待ちにしていましたが、旅行日が近づくにつれて、不安な気持ちにもなったり。以前と同じような感覚で友人たちに会えるのかなと半ば心配になっていました。

シリコンバレーに住んでいたときには、平均で年に一度のペースで日本へ一時帰国をしていました。今回の旅行はある意味、カリフォルニアへの一時帰国のような感じでもありました。娘は1才から7才までをシリコンバレーで過ごしたので、幼馴染みと言えば、プリスクールやキンダーガーテン以降のスクールのお友だちになります。そのかつてのクラスメイトに再会することが大事な目的の一つでした。それと娘の眼にもう一度カリフォルニアの風景をしっかりと焼き付けておいて欲しいと思う親の願いもありました。

久しぶりのカリフォルニアの太陽は、とても眩しかったです。サンフランシスコ国際空港に到着して、空港内のターミナルを行き来する電車でレンタカーのオフィスまで移動しました。車内はガラス張りの窓なので、懐かしい光景がはっきりと見えました。サングラスが必需品です。東京では外出時にサングラスが必要な日は少ないので、つい持って出かけるのを忘れてしまいがちです。

車に乗ってFreewayで移動するときの景色は、昨年、サンフランシスコ国際空港から飛行機に乗って帰国した日とほとんど変わった様子はありません。7年前に初めて来たときに通ったこの道路があまりにもガタガタしていて、これがアメリカの道路かと、当時はその質の悪さが印象的でしたが、その後何年間かかかって道路工事は完了し、今ではすっかり良くなっています。そんなことでも年月の経過を感じてしまいます。

夕方の到着だったので、そのままレストランへ行くことにしました。渡米前からの娘のリクエストでもあるJapanese Restaurant "Sumika"です。娘は"Sumika"のうどんの大ファンで、これを食べに行くことが今回の重要なミッションの一つでした。週末ならばともかく金曜日だったので大丈夫だろうと、お店には予約なしで行ってみたところ満席でした。それでも外の席ならOKと言うことで、夕陽が大分傾いていて涼しくなってはいましたが、座ることにしました。外にはカフェテーブルしかなくゆっくり座れる感じではないのですが、わざわざ飛行機に乗って来た直後にもかかわらず、それでも今どうしても食べたいらしいのです。美味しい焼き鳥が食べられるお店ですが、離乳食の頃からうどんが好きだった娘は、大好物の関西風のあっさりした薄味のお汁につるつるとしたうどん、幼い頃から食べていたこのうどんが彼女にとってのカリフォルニアでの思い出の味のようです。

"Sumika"は以前と変わらず混雑していましたが、客層は日本人だけではなく様々。2011ミシュランガイドにも紹介されたようで、今後も人気が続きそうです。ちなみに私のお薦めは、Sumikaサラダとつくね丼です。

実は夫と娘は、今回の旅行中に再び、"Sumika"を訪れました。もちろん、娘はその時もうどんを食べたそうです。住んでいた頃は、アメリカのレストランに行くとマカロニチーズを必ず食べていた娘でしたが、今回一度食べてはみたものの、半分くらい残していました。やっぱり舌は日本人、世界のどこへ行ってもうどんがあれば生きていけるようです。

De Anza Park
August 2011
娘の通っていた学校のお友だちとのPlaydateがありました。娘のお友だちのママが、クラスのみんなに声をかけてくれて、夏休みにもかかわらず集まってくれました。Sunnyvaleの公園で、約1年ぶりに再会したお友だちですが、最初の数分はシャイだったものの、すぐに仲良く遊んでいました。あるママは、子供たちのために大きなピザを1枚、差し入れに持って来てくれました。娘も久しぶりにアメリカのピザを食べました。昨年までは一週間に一度は食べていたピザですが、日本では食べる機会が本当に減りました。たまにイタリアンレストランに行ったときに薄焼きのピザを食べるくらいです。我が家では未だに宅配ピザも頼んだことがありません。外食のときに、「何が食べたい?」と娘に尋ねると、「和食」と答えることが多いです。たとえ親子で意見が分かれても日本のファミレスに行けばメニューは豊富ですし、大人も子供も頼める物が何かあるのでとても助かりますよね。

滞在中は友人宅に何度か招かれて、BBQパーティーやディナーなど、外食よりも手作りの食事をいただく機会が多かったです。そのためか、海外旅行という感じがしませんでした。とある友人宅で久しぶりに別の友人に会うと、「じゃあ、今度はうちにも来てね。」と誘っていただいたこともあったり。短い滞在にもかかわらず、何度もお友だちに会えて本当に嬉しかったです。

BBQ Party
August 2011
カリフォルニアの大らかで、一度に複数の家族が集ってワイワイ楽しむホームパーティースタイルはとても懐かしく感じました。東京では複数の家族を招待したくても、リビングルームの広さからして、ゆったりと寛いではもらえない気がしてしまいます。狭い庭でしかも隣との距離が非常に近いので、BBQをするには隣人に気を遣ってしまいます。そしてポットラックにしても、料理を作って持って出かけるのは、カリフォルニアほど簡単ではない気がします。やはり住環境と天候の違いでしょうか。

結局、今回の旅では、予定以上にたくさんの懐かしい友人に会うことができました。またいつかカリフォルニアの太陽の下で、友人たちと食事がしたいです。

2011年8月1日月曜日

Treasure Hunting ~Fire-King~

Summary:It was a first time to meet Fire-King and Old Pyrex, when I lived in California. I went to Niles in Fremont and Alameda Point Antiques Faire to find them sometimes.
I like a design which is based on a flower printed and American pop colors. They inspired me a lot.
In Japan, there are many collectors who are looking for Fire-King, and we have lots of websites to sell it. Somebody else says it is not that much popular as before, but I found a new book about Fire-King at a bookstore last week. Of course, I bought it!
I want to visit Alameda to get a new Fire-King again.

Alameda Point Antiques Faire
March, 2010
カリフォルニアに住んでいた頃、娘がフルタイムでプリスクールに通うようになると、日中は自分の時間として自由に行動ができるようになりました。友人たちとランチをしたり、少しくらいなら遠くまで(と言っても片道1時間以内くらいのところ)ドライブする時間もできました。

ある日、友人の一人に連れて行ってもらった「お宝探しツアー」をきっかけに、帰国までの2年余りではありましたが、アメリカの食器集めに走りました。私が主に探していたのは、一般的にCollectiblesと呼ばれるもので、その多くは1940年代頃から1970年代にかけて製造されていたガラス製の食器類でした。因みにアンティークは、製造されてから100年経ったものを言うそうです。

I bought this book in California
 そのCollectiblesの代名詞とも言えるFire-KingやOld Pyrexのことは全くと言って良いほど知識がなかったので、初めから興味があったわけでもないのですが、その友人が楽しそうに話をしてくれてのがきっかけで、一度見に行ってみようかなという感じでした。初めて訪れたのは、FremontにあるNilesというアンティークショップが何軒か集まった有名な通りでした。行った先々で、その友人があれこれとても詳しく説明してくれたこともあり、徐々にそのお宝探しが面白くなって収集にも興味が湧いて来ました。

アメリカに引っ越す以前から食器には興味があったので、気に入った物が見つかると、色々買っていました。当時はヨーロッパの綺麗な絵柄であったりシンプルだけど形の可愛らしいものを集めていました。もちろん、和食器も好きです。

Fire-King and Old Pyrex
それに比べてアメリカの古い食器は、ミルクガラスと呼ばれる不透明なガラスで、ぼてっと丸く厚みがあり見るからに重たい感じがします。当時の私の第一印象としては、先ず興味の対象ではありませんでした。そもそも、誰が使っていたのかも分からないような食器です。。しかしアメリカに住んでいるならアメリカらしいデザインのものに触れてみようと、先ずは使い勝手の良さそうな大きすぎず小さすぎない程度の大きさのお皿やボール、それにマグカップを買ってみました。それらは旧い時代を感じさせるデザインではありますが、可愛らしい花柄模様のついたものです。家で使ってみると、意外にどんな食事にも合います。果物やお菓子や小物などを入れても良いですし。外側がアメリカンポップな色であったりデザインが描かれていても、内側が白であれば食べ物を入れても邪魔にはなりません。むしろ、楽しく食事ができるかもしれません。他にはジェダイの翡翠色やターコイズブルーなども集めましたし、今でも集め続けています。

日本に戻ってからも我が家の日常の食卓にほぼ毎日登場します。Fire-Kingはもともとアメリカでは家庭用からレストラン用まで大衆向けに使用されていたそうです。例えば鍋物のときには、少し深めで具がたっぷり入る大きさのチリボールが取り皿として丁度良いですし、大きめサイズのオーバルプラッターは、ちらし寿司や握り寿司を盛り付けても良いです。ジェダイのオーバルプラッターは、帰国のお別れに友人からプレゼントしてもらった大事な思い出のお皿です。でも普段使いすることで、その友人や彼女の家族を思い出す機会になりますし、お皿一枚でもカリフォルニアの楽しかった思い出のうちの一つです。

Alameda Point Antiques Faire
March, 2010
アメリカの旅行先でAntique Shopのサインプレートを見つけると覗いてみたり、Alameda Point Antiques Faireへも何度か足を運びました。Alamedaは、対岸にSan Franciscoのビルが立ち並ぶ中心街が見渡せる埠頭にあるだだっ広い場所で、丸一日かけても全部を見切ることができるかわからないくらい大規模なフェアが月に一度、第一日曜日に開かれています。お目当てのお宝を探すために、やや急ぎ足でさっとブース内を見ては次のブースへ移り、できるだけ多くを目にしようと、とにかく歩き回りました。

少しでもFire-Kingを知っている人なら分かると思いますが、アメリカ人にとってはただの古い食器であっても、今の日本人コレクターにとっては価値あるお宝へと…不思議なことにその存在価値が何倍にもなります。アメリカ人のお宅に伺って、古いFire-Kingを使っている人などいません。日本人の友人の中には「小さな頃に家にあった。」という記憶が残っている人もいます。私も花柄などのデザインや色調を見るとどこか懐かしい感覚が蘇って来ます。

日本では1990年代以降のカフェブームに乗って、Fire-Kingのマグカップから人気が出たそうです。確かにマクドナルドやスヌーピーなどの柄のついたカップは可愛らしくとても親しみやすいので、毎日使っても飾って置くだけでも良さそうです。昨年の秋に、あるデパートで開催していたアンティークフェアにたまたま立ち寄って、Fire-KingとOld Pyrexを数点置いてあるブースがありました。そこのオーナーによると、ブームは一段落したそうで、一通り世間へは行き渡ったのではないかと言っていました。実際に全部のブースを見て回ってもそれらの類は他では置いてなかったので、私のようにFire-Kingを探している人が全体的に少ないのかなと感じられました。

ある日、雑誌で"ファイヤーキングカフェ"というお店を見つけました。場所は、小田急線の代々木上原駅のすぐ近くです。一体どんなお店なのかとても興味があったので、行ってみることにしました。そのお店には、Fire-Kingのピカピカな状態のジェダイの食器が、カウンター後ろのガラス棚一面にきちんと高級食器のように陳列されていました。こういう光景は、あのアメリカのアンティークショップやフリーマーケットで目にする光景とは全く異なります。アメリカのどこのお店でも、たいてい1枚か2枚触るとざらっとして手が黒くなり、埃っぽい匂いがするものです。同じモノでもこんなにも取り扱い方が違ってくるのか…何でも上手に取り入れて、自分らしくアレンジすることの得意な日本人らしい…なと感心しました。また実際にコーヒー用のカップ&ソーサーやデザートプレートにはジェダイが使われていて、それを目当てに来るお客さんもいるそうです。

実に7、8年ぶりに世田谷区池尻の"ザ・グローブ"へ行ってみました。私のアンティークとの出会いのお店でもあります。当時よりもお店の規模が大きくなっていて、カフェのメニューも充実していました。イギリスのアンティーク家具を主に取り扱うお店ですが、食事やデザートはアメリカや東南アジアの料理です。そのお店の地下に置いてあるわりと小さいサイズのステンドグラスのはめ込まれた古い感じの窓は、Alamedaでも似たような窓を見つけたことがあったので、とても懐かしかったです。

カリフォルニアのように掘り出しもの(埃まみれの中から探し出すような)を探しに行くところは、東京には多くはないのですが、アンティークフェアが開催されている時期を狙って行ってみたいなと思います。でもやっぱりお宝探しならば、またAlamedaに行きたいです!

2011年7月3日日曜日

Enjoy your lunch time!

Summary:I enjoyed many lunch time with my friends, when I was in California. I went to McDonald's with my daughter and some of her friends and their moms every Wednesday, because the school doesn't have lunch that day. So they talk about lunch at school. "Let's go to outside McDonald's today!"means that we are going to go to the McDonald's that has a play structure outside. It was a great time for me because I had a chance to talk with my daughter's friends moms in English, and also I could ask moms about school when I didn't know anything else.

I also have a Japanese friend who likes to eat as well as me. We went a nice French restaurant Le Papillon in San Jose. This restaurant is one of my favorite ones. Of course the food taste great and it is a comfortable place for me. We had a wonderful time.

I often went to Satura Cakes with my family and my friends which is a cake and bakery shop in Palo Alto. This shop original came from a Japanese cake shop in Tokyo.

Around my town in Tokyo, there are some 1 coin lunch(¥500=$6). It was okay to eat quickly, but if you want to stay with your friends and talk longer, you should find a cozy cafe or a fancy restaurant.

I would like to find tasty and comfy restaurants more with my friends in Tokyo.

Inside McDonald's
Jan. 2010
子供が学校に行っている間、友人のママたちとのランチはとても楽しい一時でもあります。日本に戻ってきて丸1年が経ちましたが、日本でも数々のランチを味わって来ました。

最近では、1コイン(=¥500)のランチが話題になっています。私も3軒ほど、友人たちと行ってみました。イタリアンレストランの"ラボエム クアリタ"と和食風居酒屋(名前は忘れました…)みたいなところです。心理的に500円だからこの程度の内容なのねと思ったり、この内容で500円なんだと感心したりもします。カフェやレストランで、通常、飲み物付きやサラダ付きなどメニューは様々ですが、平均のランチの値段は1,000円前後といったところでしょうか。普通に比較しても、安くてお手頃だなと感じられます。そういったお店は、開店前にはお店の前に既に列が出来ていて、お昼の12時にはもう満席状態です。

お友だちとの楽しいランチタイムなので、ゆっくり長い時間お話をしたいのであれば、お味も大切ですが、居心地の良いお店を選びたいものです。結局、ランチの目的が何であるかでランチの値段も決まってくるのかもしれません。お手軽に済ませたいならば、1コインランチは最適だと思います。

最近の私の失敗は、土曜日に友人たちとランチをしようと、麻布十番のとあるフレンチ(ビストロです)レストランで待ち合わせをしたのですが、予想以上に高くてびっくりしました。そもそも週末はランチメニューをやっていないということで、食事も飲み物も別料金だったのですが、お会計で娘の分と合わせて5,000円という今時にしては法外な値段に驚くばかりでした。味は良いのですが、そのほとんどが場所代だったのか…立地の良さについつられて決めてしまった自分に反省でした。

麻布十番にも土曜日にランチをやっているレストランがあるのを帰りの途中で知っても、後の祭りでしたし、もっとリサーチが必要でした。

カリフォルニアのシリコンバレーにもそれなりに良いレストランはたくさんありました。友人のNさんと結成した“San Jose グルメの会”では、私の日本への帰国までの約2年ほどでしたが、色々なレストランを巡ることができました。中でも印象的だったのは、San Joseの"Le Papillon"というレストランです。

シリコンバレーへ引っ越して以来、フレンチレストランへ行く機会は先ずありませんでした。娘がまだ幼かったこともありますし、私たちは娘をベビーシッターさんに預けることをしなかったので、家族での外食はどうしても家族みんなで楽しめるお店となってしまいます。となると、範囲はいつも限られてしまいます。

"Le Papillon"は、外からは何の変哲もない小さなモールの中にあるレストランなのですが、一歩店内に入るととても落ち着いた内装です。私はあまりサービスが過剰過ぎる(アメリカらしいというのか、パフォーマンス仕立ての場合もありますので)レストランが好きではないので、その雰囲気も気に入りました。そもそも平日に高級レストランでランチをする主婦は殆ど見かけませんが。その日食事をしていたのは、常連さんと思われる品の良いややお年を召したご夫婦やビジネスマン風の紳士です。このクラスのレストランではランチの営業をしていないところもあるのですが、意外に入りやすいと思いました。

私はもの凄い食通ではありませんが、このレストランは外れがないと思いました。人によっては、好きではないという話を聞きましたが、結局、そのレストランで食べた一品に満足したか、その時の接客が良かったかといったところで個人の評価は決まるのでしょうから。支払った金額は、先ほどの麻布十番のレストランでの二人分くらいだったと思います。でもその時の満足度は100%でした。もう、3年くらい前の記憶ですが、赤のグラスワインに前菜かスープのどちらかとメインのラム肉とデザートに名物のスフレを美味しくいただきました。

そのグルメ仲間のNさんとは、美味しいと感じるのは自分の好みの素材や味付けであって、それが少しでも違うと自分にとってイマイチと感じてしまうのかもしれないと話していました。またもちろん楽しい会話のできる相手で、食事の好みが似ていることなどが、より気分を盛り上げてくれるのだと思います。

また"Satura Cakes"では、友人のJoannaとカジュアルなスタイルで会話をよく楽しんでいました。当時シリコンバレーで唯一の日系ケーキショップで、サンドウィッチやクロワッサンやペストリーもあります。お茶やコーヒーを飲みながら、パンとケーキを食べて2時間くらい話続けていました。Joannaは私の拙い英語にもしっかりと耳を傾けてくれました。娘のプリスクール時代の先生だった彼女とは、たまたま日本の100円ショップのダイソー"Daiso"の話で意気投合し、お互いNew Yorkが好きだということがわかり、車の中ではJazzのラジオ局を聴くという趣味や興味がとても近かったこともあって、仲良くなりました。生まれた場所も育った環境も違って、一見、共通点がないように見えますが、実はあるというのはとても嬉しい発見でした。

娘はキンダーガーテンから、水曜日だけがお昼までの授業でランチがありませんでした。そこである日、何人かのママたちと子供たちでマクドナルドへ行くことになりました。そうすると翌週からは、お迎えに行くと、子供たちの間ではマクドナルドへ行く話ができあがっていました。

シリコンバレーでは、マクドナルドなどのファーストフード店には、店内や屋外に子供が遊ぶための遊具が備え付けられているところがあります。そこで晴れた日は"Outside McDonald's"で、雨の日は"Inside McDonald's"が合言葉のようになっていました。そこならば、男の子でも女の子でも、兄弟姉妹も一緒になって遊ぶことができますし、私たちもおしゃべりしながら、コーヒーなどを飲んで待つことができました。またそこでの会話は、貴重な英会話の勉強の場でもありました。学校の話題ならば、何となく分かる部分も多いですし、分からないことは色々と教わることもできました。

今後も子供と一緒のランチや友人たちとのランチなど、その目的に合わせて、未開拓のレストランはまだまだたくさんあるので、挑戦したいと思っています。

2011年6月12日日曜日

I Love My Birthday!

Summary:I heard that one of my friends said "I love my birthday!" at someone else's birthday party about 4 years ago in California. I never thought like that. She was a positive and wonderful woman and her life always looked happy.

Another friend told me that she would have a big birthday party for her every year. I was surprised because I didn't have a party with my friends. I think most of the Japanese moms don't have parties. I only had birthday parties for my daughter and my family. If you have a birthday party every year, it sounds like celebrity.

When I was in Japan before living in California, I thought a birthday was only to get one year old and not so happy. It means I don't like to get old because Japanese women like to look much younger than a real age.

One of my friends organized my first surprise party 5 years ago in California. It was a fun birthday with my friends though I was not used to it.

I have had birthday dinners with my Japanese friends since a couple years ago. I had a fun time and  delicious foods at restaurant with them this year in Tokyo because they also moved back to Japan from California. Now I love my birthday!

My Surprise Birthday Party
June, 2006
今年の梅雨入りは例年より12日早かったようで、5月の末から雨続きでした。言うまでもなく日本の6月は雨のイメージが強く、寒かったり蒸し暑かったり…の繰り返しのような少し憂鬱な月でもあります。けれども私にとってはお誕生月でもあるので、祝日のない6月ですが、やはり愛着があります。爽やかに晴れた日は、カリフォルニアの陽気にもとても似ていますし。

6月の良いイメージとして、"June Bride"が思い浮かびます。でもその言葉がピッタリだなと思ったのは、カリフォルニアに引っ越してからでした。カリフォルニアの6月は、とても気候が良く、夏時間のために日中の時間がとても長いです。それに学校が夏休みに入ることもあり、どこか陽気な気分になってしまうそんな月ではないでしょうか? そんな季節に結婚式を挙げれば、きっと幸せになれることでしょう。

お誕生日が近づくと、また一つ年齢が上がる…それはある意味プレッシャーでもあります。昨年の自分と比較して、何か成長した部分があるのかなあなどと考えると…年ばかりが気になって焦ってしまいます。子供の成長が早いのは嬉しいけど、あまり自分自身が成長していないのではとつい考えてしまいます。

ある年の娘のプレスクールのお友だちのお誕生日会で、娘の大の仲良しの友だちのママが、"I love my birthday!!"と、楽しそうに話していました。彼女は自分の年をはっきりと言う人です。アメリカ人で特に女性は、年齢に関する質問はタブーだと聞いていたので、そんな前向きな女性がいるんだなと驚きました。私よりも2才年上の彼女ですが、自分の年齢に自信があるのは、きっと充実した毎日を送っているのだろうなと思いました。彼女と話すと、もっと人生を前向きに生きなければと思わせてくれます。意外にもアメリカ人女性との会話の中で、年齢が分かる(教えてくれる)ことはよくありました。日本人の友人でも、年齢をはっきり言える人と、秘密にする人、様々ですが。自分の年齢に自信を持って、年齢に負けない素晴らしい人生が送れるように…それには日々の努力も必要ですよね。

何年か前に、「毎年自分の誕生日には、Birthday Partyを開くのよ。」ということを、友人から初めて聞いたときにも驚きました。お誕生日は誰かに祝ってもらったり、子供のために開くものだと思っていたからか、初めはどうしても理解できませんでした。

昨年のお誕生日は、娘がお友だちの家に泊まること"Sleep over"になったので、夫とMountain Viewのフレンチレストラン"Contemporary French Cuisine Chez TJ"へ行きました。デザートの後に、プチフルール"Petites fours"もいただける、シリコンバレーでは珍しい本格的なスタイルのフレンチレストランです。











Petites fours

その後は、映画を観に行ったのですが、そこで友人のご一行にバッタリ会うという、楽しいハプニングもありました。彼女たちは"Girls night out"で7-8人くらいいたので、とても盛り上がっていました。


Sent Sovi, Saratoga
 年に一度のお誕生日ですから、何時もよりも少しは贅沢な気分で過ごしたいですよね。子供がある程度大きく成長して、パパとお留守番ができるようになった頃、お誕生日の友人をお祝いするために、子供とはなかなか行けそうにない、ちょっと良いレストランで食事会をするようになりました。

昨年、カリフォルニアから日本へ引っ越す直前には、私のリクエストでSaratogaのフレンチレストラン"Seasonal and Stylish French California Cuisine Sent Sovi"へ行きました。お料理も良かったですが、Saratogaの素敵な街の雰囲気にあったレストランは決して気取りすぎることなく、でもきちんとしたサービスが受けられるのが心地良かったです。気の合った友人たちとの時間をゆったりと夜遅くまで過ごすことができました。

こうして6年間、ポジティブな考え方を持つ友人と過ごしていると、自分で自分のお誕生日を祝うことは素敵なことであり、不思議なことに共感できるように変わって行きました。良い意味で、お誕生日を大切に思えるように成長(?)したのかもしれません。

毎年、様々な思い出のお誕生日を過ごしましたが、友人のHeidiが計画してくれた生まれて初めての"Surprised Birthday Party"は今でも強く印象に残っています。ちょうど5年前ですが、日本から友人が遊びに来てくれていたこともあり、彼女も含めて日頃プリスクールで仲良くしていたママたちとランチをすることになっていました。Heidiとその友人は一緒の車で移動して、私は自分の車だったので、全くその計画については、知りませんでした。レストランに到着するとみんなが待っていました。その日は、私のお誕生日でした。ケーキにロウソクが灯されていて、"Happy Birthday Song"の後に、吹き消しました。その場では、とても気恥ずかしかったですが、でも忘れられない思い出です。何よりも、椅子の背には風船が結んであって…これも初めての嬉しい経験となりました。

このような嬉しいサプライズなら、毎年でも良いですよね。年に一度のお誕生日なのですから、Happyな一日を過ごしたいですね(^_^)

2011年6月4日土曜日

Blessing of the Animals

Summary:My daughter really wants to have a dog especially Chihuahua. However, she has a cat and a dog allergy. In Aichi pref., there is Wan Wan Zoo, which is Zoo for dogs. She could take a walk with Chihuahua there for the first time, so she was really happy.

My daughter was always watching and touching a dog since she was little, because people were talking a walk at elementary school in front of our house. Actually, her first English was "doggy" and "puppy", when she was one-year-old.

When my daughter was in Catholic school in California, there was a celebration called Blessing of the Animals every year. The students brought their pets on the day. It was so interesting for me, because we don't have such a fun event in Japan. I thought it was very nice to think about their lovely pets. If you don't have a pet, you can bring your favorite stuffed animal.

We have two small fish called medaka and a small shrimp in a tank. I want to ask her to take care of them every day before having a dog.

Wan Wan Zoo
May, 2011
娘が最近、一番欲しがっている物は犬です。街でお散歩中の犬を見かけると、「かわいい!!」と言って、じっと熱い視線を送っています。以前はよく、「自転車の前のカゴに犬を座らせて自転車をこぎたい。」と夢を語っていました。今はとにかく犬とお散歩がしたくて、いつになったら犬が飼えるのか、毎日そんなことばかり話しています。

つい先日、その夢に一歩近づくことができました。愛知県岡崎市にあるわんわん動物園いうところで、犬のお散歩の体験を15分だけしてきました。20種近くある犬の中からお気に入りの犬を選ぶのですが、その日の人気No.2のチワワは2時間待ちでした。予約をするだけで1時間並んだので、全部で3時間待つことになります。ディズニーランドの人気アトラクションと同じか、それ以上の人気です。それでも、娘は楽しみに待っていました。待っている間に、犬との触れ合い広場で犬を触ったり、わんわん劇場で犬たちが演じる劇「フランダースの犬」を観ました。劇中では犬たちが見事な演技をしていて、最後の悲しいシーンも立派に演じ切り、とても感動的でした。またグランドで行われたドッグレースは、犬たちの予想のつかない走りが面白かったです。

昨年訪れたときには、ペットのお仕事体験で、動物のお医者さんになりました。このようにわんわん動物園で数々の楽しい体験をしている娘ですが、実は犬と猫のアレルギーがあるのです。

娘はもともと猫が大好きで、幼い頃から猫を飼いたがっていました。ある日、娘が4才くらいの頃だったと思います。猫を6-7匹飼っている友人に家にお邪魔すると、あっと言う間に全身に湿疹が出てしまいました。そのお宅は猫たちの里親をしていて、家の中で何匹もの猫を飼っていました。猫ちゃんたちとたくさん遊べると喜んでいた娘ですが、見事にアレルギー反応が出てしまい、痒みに耐えられず、泣き疲れてそのお宅で眠ってしまったくらいでした。
ただその場を離れると、すぐに湿疹は消えるので、病院へ行くほどの重症ではないようですが、それにしても大の猫好きにとっては、辛い辛い思い出となってしまいました。

それでも猫を飼っているお宅にお邪魔する機会はたまにあるのですが、ほんの少しの時間でもアレルギー反応は体に出てしまいます。このまま大人になっても、アレルギーが無くなるのかはわかりませんし。。。

San Francisco Zoo
Feb., 2005

2才くらいから、サンフランシスコ動物園へ行くようになり、そこのChildren's Zooで羊やドンキーに触れたりブラッシングをするのが好きでした。また乗馬をしたときは、全く何の反応も出なかったので、全部の動物に対してアレルギー反応が起こるわけではなさそうです。

犬に最初に接するようになったのは、カリフォルニアへ引っ越してすぐに知り合った近所のお友だちの家で飼っているゴールデンレトリバーでした。夕方、私と娘が家の前の小学校の校庭で遊んでいると、家族と一緒に散歩に来て、娘もよく触らせてもらっていました。

私たちがカリフォルニアに来て最初に住んだ家は、偶然にも公立小学校の前でした。子供たちの下校後は、近所の人々が自由にグランドを走ったり、犬の散歩をしていました。娘にとっては、公園が家の前にあるようなもので、毎日遊びに行きたがっていました。1才半頃の娘はよく犬を見かけると、「ワンワン!」と言って、それに対して英単語の"Puppy"や"Doggy"などの英語の幼児語を覚え始めました。娘にとって公園と犬は、とても身近で当たり前の光景だったのかもしれません。

幼い頃からペットを飼うのは子供の情操教育としては良いことのようですが、アメリカから帰国するときの手続きの手間のことを考えてしまい、ペットを飼うことは難しいと思っていました。

カリフォルニアではペットを飼っていない家庭の方が珍しいのかもしれません。住宅事情の違いも大きいとは思いますが、子供が4人いる大家族でも犬を飼っていますし、両親がフルタイムで働いている家庭でもお散歩に連れて行って、きちんとペットの面倒をみています。娘の大の仲良しのお友だちの家では、犬を2匹と猫を2匹飼っています。ある日、犬が1匹亡くなってしまったので、もう1匹に友だちがいなくてかわいそうだからと、暫くしてから新しく犬を1匹飼い始めていました。

毎年、娘の通っていた学校では、"Blessing of the Animals"という祭事があって、その日だけは家庭のペットを学校に連れて来ても良い日でした。娘はキンダーガーテンからカトリックの私立学校に通っていました。年に一度、10月の初めに生徒の飼っているペット(動物)の 愛護の日があり、神父さんによる日本で言うところの神社のお清めやお祓いのような儀式がありました。ペットを飼っていない人は、お気に入りのぬいぐるみ"Stuffed animal"を持参し、ペットがいても学校に連れて来れない人は、写真を持参しました。娘は当時、金魚を飼っていたので、その写真を持って行きました。

犬や猫以外には、ハムスターや亀もいました。犬を飼う人が圧倒的に多いので、この日ばかりはまさにワンワン動物園のようです。朝から興奮気味の犬たちが、小学校の校庭でワンワン叫んでいたのは、生まれて初めて見る不思議な光景でしたし、とても興味深いことでした。もちろん動物たちは、保護者と一緒なのでトラブルになるということはありませんでした。

Humane Society Silicon Valley
Dec., 2007
アメリカでペットを飼う人は多いと言っても、動物の保護施設にはたくさんの引き取り手のない犬や猫などがいます。初めて動物の保護施設"Humane Society Silicon Valley"へ見学に行ったのは、娘が5才のお誕生日の直前で、プリスクールの遠足"Field trip"でした。2度目は、First Gradeの友だちのお誕生日会がそこで開かれたときでした。このような経験から、子供も大人もペットに対する関心の高さう伺うことができましたし、娘にとってはますます動物に興味を持つきっかけとなりました。実際に私の友人中には、そこで犬を引き取って飼い始めた人もいました。

いつか娘の願いが叶う日が来れば良いなとは思いますが、当分の間は、我が家のペットのメダカとエビのお世話をしっかり忘れずにやってもらいたいものです。。

2011年5月15日日曜日

"Fun Flower Party" was Our Special Event

Summary:We held a special party named Fun Flower Party at the clubhouse before leaving California. We invited 80 people who are my daughter's pre-school friends, elementary school friends, ballet school friends and their families. We provided 7 stations which are flower arrangement, origami, painting, calligraphy, portrait drawn, balloon man and bingo for the children.

The children were having fun with many activities. They concentrated on the fresh flower arrangement, paint flowers with a straw and water colors and also they liked to do calligraphy for the first time.
Origami is popular in California. They work on origami at school and we can find some origami books at the bookstore.

Many friends volunteered the party. I really appreciated them. Also, we were very happy to meet them at the party. My daughter could be a small bridge between Japan and America.

Fun Flower Party
May 15th, 2010
2010年5月15日、帰国前にお世話になった方々やお友だちを全部で80人ほど招待して、盛大なパーティーを開きました。パーティーについては、帰国日が決まる前から最後に絶対開こうと決めていたことなので、随分と前からあれこれ案を練っていました。自分たちの結婚式と披露宴以来の、大イベント(?)に当日までワクワクドキドキの毎日でした。

私たちの住むコミュニティ内の共同施設として、クラブハウスとプールがありました。クラブハウスは一軒家の造りなので、室内はとてもゆったりしていています。周囲は木々に囲まれていて、どんなに騒いでも近所迷惑にならない奥まった場所にありました。そこで最後のパーティーの場所として、そのクラブハウスを利用させてもらうことにしました。

2004年にカリフォルニアへ来て初めてのホームパーティー*は、友人のHeidiと彼女の家族を招待して、娘の2才のお誕生日とクリスマスを兼ねた小さな小さなものでした。それから数えきれないほどの様々なパーティーを経験し、アメリカ式のパーティーを学びました。どれも楽しかった思い出としてしっかりと残っていますし、感心したり勉強になることもたくさんありました。

Pool Party
July, 2009
娘の誕生月は12月で、その頃は天候が不安定な雨季なので、パーティーは室内の施設を選ばざるを得ません。4才と5才のお誕生日会は1月に開きましたが、いつかカリフォルニアらしい天気の良い夏に、外でたくさん遊べるようなパーティーをしたいなと考えていました。そこで娘が6才の夏にクラブハウスを借りて、"Pool Party"を開きました。もちろん子供たちはプールが大好きなので、みんな喜んでくれて、楽しそうに泳いだり水遊びをしていました。

"Pool Party"では、何かエンターテイメントも必要かなと考えて、縁日用のヨーヨーを日本から取り寄せました。前日にパパが数時間かけて、風船を膨らまして水を入れたものを50個用意して、結構大変な作業でしたが、その甲斐があって、子供たちには楽しんでもらえたようです。

Foods
パーティーでの食事はポットラック形式にして、食べ物でも飲み物でも何でも好きな物を持ってきてもらうように招待状に記しました。因みに招待状"Invitation"は手書きでも良いのですが、一般的にはインターネットのEviteを利用することが多いです。

"Fun Flower Party"という名前のとおり、お花をテーマにしたいと考えていたので、本帰国が決まった1月頃に、早速、フラワーアレンジメントの先生に、パーティーで子供向けのアレンジメントが出来ないか、また当日はお手伝いをしてもらえないかとお願いをしたところ、OKの返事をいただけました。ただその直後に帰国日が3月末から6月にずれ込むことが分かったのですが、少し時間に余裕が出来たので、その分パーティーについては色々と考える時間もできました。

Flower Arrangement
最後のパーティーなので、6年間で出会ったできるだけ多くの人にも関わって欲しいと考えました。友人のほとんどは、娘の通った2つのプリスクールや現地の小学校と日本語補習校、それに習い事を通じてのお友達とその家族ばかりです。今回は娘の友だちが中心ということもあり、娘が4才の頃にお世話になったプリスクールの先生のJoannaに、パーティーの事前の相談に乗ってもらえるように頼みました。Joannaは快く引き受けてくれて、準備の段階から色々とアドバイスをくれて、とても心強かったです。何人かの子供たちはJoannaを覚えていて、中には数年ぶりの再会となった女の子もいました。

パーティーでは全部で7つの企画を用意して、子供たちが何でも興味を持って好きなことをやってくれるようにそれぞれのステーションを設けました。当初は、フラワーアレンジメントと折り紙とお絵描きとビンゴの4つくらいしか考えていませんでしたが、友人のママたちがボランティアで参加してくれたお陰で、結果として予想以上のことができたのだと思います。

娘の友だちのパパが、以前、クリスマスパーティーでバルーンアートを器用に子供たちのために作ってくれたのが好評だったので、最後の頼みとお願いをして、パーティーでもバルーンアートを披露してらえることになりました。もちろん、子供たちに大人気でした。忙しくて休む暇のないくらい働かせてしまいました。

Origami
折り紙はいくつかサンプルを作っておいて、鶴や犬や猫などの動物やパクパクゲームや飛行機などから選んで好きなものを挑戦してもらいました。折り紙は、現地の小学校で鶴や飛行機などを作る機会があると聞きました。また英語で"Origami"という言葉があり、何冊も本が出版されています。コーヒーショップで母娘が作っているのを見たこともあります。娘のお友だちのママたちにも手伝ってもらいました。



Painting

お絵描きは、塗り絵コーナーか自由に紙に描いてもらう程度のことしか考えていなかったのですが、娘の日本語補習校で一緒のママがとても絵が上手なので、お手伝いをお願いしました。すると彼女は、ストローと水彩絵の具を用意してくれて、子供たちにも簡単にできるストローアートを考えてくれました。子供たちは思い思いに優しい色合いのお花の絵が描けました。パーティーの趣旨に合ったお手本のお花の絵のをわざわざ用意してくれたおかげで、本当に素敵なイベントになりました。
娘のクラスのアメリカ人の双子のママからは、後日学校で会ったときに、「絵は額に入れて子供たちの部屋に飾ったわよ。」ととても喜んでいる様子でした。

Calligraphy
別な補習校のママには、書道のお手伝いをお願いしました。書道は娘の現地の小学校で、確か6年生が"Calligraphy"のクラスを受けていたとニュースレターで読んだことがありました。日本人以外は、筆を持つことが初めての子供たちばかりだったと思いますが、最後まで子供たちは真剣に取り組んでいました。小学校の書道の教科書を見せて、好きな平仮名や漢数字や漢字を選んで自由に書いていました。文字の意味が分からなくても、気に入った文字を見つけて、熱心に筆を走らせていたのが印象的でした。いつもは活発な女の子たちがとても集中していた様子を見て、書道の精神は世界共通なのだなと思いました。

The American Flag Cake
また当日になって、パーティー用にケーキを作ってくれた補習校のママが、急遽、子供たちの似顔絵を描くサービスをしてくれました。子供たちはきちんと並んで、じっと自分の番が来るのを待っていました。どの絵も子供たちの顔の特徴を捉えていて、きっと記念の一枚になったと思います。

こんなにも数々の才能のあるお友達に恵まれたシリコンバレーを去らなければならなかったことを今振り返っても、とても残念に思います。この私たちの記念に残るパーティーが無事開けることになったのは、ボランティアでお手伝いしてくれた友人たち(延べ14人)のお陰ですし、今でもとても感謝しています。私たちのパーティーのために準備をしてくれたり、当日のお手伝いを快く引き受けてくれたことも嬉しく思っています。

参加してくれた子供たちが、娘の帰国して行った日本のことを身近に感じてくれて、将来、もしかしたら日本と関わる仕事や日本で生活する日が来るかもしれないと期待しています。小さいながらも娘は、日本とアメリカの立派な架け橋なっていたのではないかと思います。

*ホームパティー:ブログ“パーティーで学ぶこと”参照

2011年5月7日土曜日

The volunteer activities are good reasons to study English conversations

Summary:Since we had an earthquake, I heard that many people have been volunteering to help in the affected areas. On some Facebook from California , I saw a comment that my friend will be volunteering to translate the messages from her children and their friends in school from English to Japanese.

I had my first volunteer activity in California. It was in my daughter's preschool. I brought some Japanese snacks such as rice crackers and shrimp chips for a snack time. I think most of the children ate them for the first time. One of their moms told me that she liked the chips, and then other moms asked me where I bought those chips. This event provided me to take good opportunities to learn English conversation further.

When my daughter was in kindergarten, we went to the pumpkin patch as a field trip by our cars. We had enough volunteers for drivers, so I didn't need to drive at all. I was a chaperon. I talked with a mom who met me for the first time for about 2 hours in a car. However, it was really good to talk in English. Actually, she was a nice person.

I am in charge of making public relation magazines at my daughter's elementary school this year. It is my first time and I am so excited because I will have many chances to see her classes and talk with moms.

東日本大震災後、多くのボランティアの人々が被災地で活動している様子が、毎日のように報道されています。芸能人やスポーツ選手による物資輸送や炊き出し、避難所では音響設備が不十分な環境であるにも関わらず心を込めて歌っている歌手に会えて、被災地の人々は元気をもらったと言っていましたし、被災地を訪れた人々も逆にエネルギーをもらえたと語っていました。

多くの人々は、インターネットで被災地のボランティア募集の告知を見て現地に入り活動しているそうです。全国の自治体からの派遣や企業の一部でも社員がボランティアで家の片付けや避難所でのお手伝いに参加していると聞きました。実際に私の友人のご主人が、被災地へお手伝いに行って来たそうです。

カリフォルニアの友人からは、サンノゼの日系コミュニティやローカルの小学校など、数多くのボランティア団体が結成されて募金活動を行っている様子が、メールやFacebookから伝わって来ています。今朝の友人のFacebookに、彼女の子供たちの通う小学校で被災された方々へのメッセージを書いて、それを日本語に訳すボランティアをすることになったとありました。

Art Work
April, 2005
日本に住んでいた頃、ボランティア活動と縁のなかった私は、カリフォルニアに来てから、娘の最初のプリスクール*で初めて経験しました。娘の通っていたプリスクールは、親子で参加することが必須条件でした。従って、プリスクールの授業料は子供を預けっ放しにする一般的なプリスクールに比べるととてもリーズナブルでした。その代わり、クラスのお仕事を保護者もしくは祖父母や時にはベビーシッターさんなどがしなければなりません。





Easel
August, 2005
 
その内容は、クラス委員"Room Parents"や室内でのアートワークのお手伝い"Art Work"、子供用のスナック"Kids Snack"と大人用のスナック"Adult Snack"の用意、外でのペイントブラシを使った自由なお絵描きのお手伝い"Easel"、外遊びの見張り役"Outside Observer"などから選んで"Sign up"し、1セッション(約10週間)の内に、2度ボランティアをすることになっていました。





Snack Time
May, 2006

初めは、それぞれ何をするのか検討もつかなかったので、外遊びの見張り役から始めたのですが、少し様子が分かってきたので、子供のスナック当番をやってみることにしました。子供のスナックとは、定番のクラッカーやシリアル、それにチーズやレーズンやベビーキャロットなどの健康を考えた食べ物です。他には、フルーツのバナナやりんごやいちごやグレープ(皮ごと食べられるぶどうが一般的)や季節によってはスイカもあります。まだ2-3才の頃はそれぞれ子供の口のサイズに合わせて小さく切って出しました。スナックは3種類くらい用意をして、クラスの人数分用意しました。娘は特にゴールドフィッシュ"Goldfish"とチェリオ"Cheerios"が大好きでした。

私が持って行った子供用のスナックは、海苔のついたあられ"Rice Cracker"やかっぱえびせん"Shrimp Chips"、日本のかぼちゃ"Pumpkin or Squash"を茹でたものでした。あられやえびせんは日系スーパーマーケットだけではなくアメリカのスーパーマーケットでも売っているので最近では人気のようです。独特のお醤油の風味や海苔やえびの臭みは、もしかすると苦手かもしれないと思いました。アメリカやアジア系の子供たちにとっては見るのも食するのも初めてかもしれませんが、当時は少しでも日本のお菓子を知ってもらえればという思いでスナックとして出してみました。そうすると食べる子は全部食べますし、食べない子は残すので、これはどんなスナックを出してもあまり変わらないなという印象でした。娘は、日本のあられもアメリカのスナックもとても好きでしたので、小さいうちから色々な物を食べさせることが大事なんだろうなと言うことが分かりました。

日本のスナックを持って行くと、"I love this chips."などと気軽に話してくれるママがいたり、"Where did you buy this?"と尋ねてくるママもいました。そんなところからでも会話が始まりますし、話が広がるきっかけにもなりました。

プリスクールでは、遠足"Field Trip"が年に何度かありますが、もちろんバスをチャーターする予算はないので、自家用車で相乗り"Carpool"が必要です。そのドライバーもボランティアなのですが、初めの頃は、自分の子供以外の子供を乗せて、何か事故にでもあったら困るなと思いました。けれどもカリフォルニアの人々は、大らかで助け合いの精神に溢れているのか、何時でも多くの人々がボランティアをしていました。フルタイムでお仕事をしているママは半休したり、パパやおばあちゃんが代わりに参加することもよくありました。

キンダーガーテンの遠足でPumpkin Patchへ行ったときには、ドライバー希望者が多かったので、当日になって私は付添い人"Chaperon"として参加することになりました。アメリカ人のママの運転で、私は助手席に座ることになりましたが、内心ホッとしていました。

新学期が始まってすぐの遠足で、まだお話をしたことのないママでしたが、既にパパ同士が他のボランティアで会ったときに話しをしていたので、その家族のことは何となく知っていました。そうは言っても初対面の人との車内での会話ですので緊張します。娘とその友達は、二人とも大人しく"Shy"でしゃべりません。けれども約1時間の道のりで行き帰りを一緒にしたのがきっかけで、そのママとは学校で会えば話をするようになり、パパとも会話をするようになりました。初対面の人でしかも英語ですから…それでもそのくらいの切羽詰まった状況でないと本当の意味で話す勉強にはならないと思います。しかも話しをしてみると、とても温かくて良い人だということが分かりました。
彼女はあるアメリカの航空会社でグランドホステスをしているのですが、以前から日本人は礼儀正しいと感じていてくれたようで、その言葉が私にとっても嬉しく感じられました。今でもサンフランシスコ空港で働いていれば、多くの日本人に会っていると思います。

娘がキンダーガーテンから通っていた学校は、新学期の保護者会でクラス委員"Room Parents"とアートプロジェクト"Art Project"**のボランティアを決めます。 日本の小学校とは違って、ボランティアの名前を書く紙"Sign up sheet for volunteer"がクラスに用意されてあって、出欠のサイン用の用紙とボランティアの用紙が並んで置いてありました。1st Gradeの保護者会で私が見たときには、Room Parentsの4-5行の名前の書く欄にそれを超える6人の名前が既に書き込んであって、その積極的な姿勢に驚きました。

先日、娘の小学校で保護者会とクラスの役員を決める集まりがありました。すぐに決まった委員もありましたが、なかなか決まらない委員もありました。司会役のママが誰かに声をかけて頼むと引き受け手があったので、何とか時間内に決まりました。隣のクラスより10分くらい早く終わっていたので、案外スムーズだったようです。決まるまでの何とも言えない緊張感、多くのママたちが下を向いたままで目を合わせないようにしたり。。カリフォルニアでの積極的なママたちの行動を見てきたので、その違いにも驚きでした。私も今年は委員を引き受けることにしました。英語だけの環境に比べて、日本語で100%理解できることを考えれば、容易なことですから。。

カリフォルニアで経験したことや感じたことが沢山あるからこそ、今年はPTAのボランティアやってみようかなと決断できたのだと思います。折角の機会なので、楽しくボランティア活動ができれば良いなと思っています。

*プリスクール:ブログ"Playdates make you learn more about America"参照

**アートプロジェクト"Art Project":年に一度の学校のオークションイベントで、クラス毎にアート作品を出品するため、その作品を作るお手伝いのボランティアのこと。

2011年4月27日水曜日

Japan is SAFE. What we should do now is…

Summary:We would like to say that Japan is SAFE and please visit Japan from all over the world. 
After a month from the earthquake in the northeast of Japan, Tokyo Disney Land was reopened and The Tokyo Disney Sea will be reopened on the 28th of April. The life in Tokyo is getting better day by day. On the other hand, the affected area is still in tough situation.
Most of the people from other countries left Japan in the aftermath of the earthquake. Finally I see many people who came back from other countries or cities in Japan.

I have the emergency supplies in the backpack and the bottles of water since the earthquake happened, because we have to think about next huge earthquake in Tokyo all the time.

What we should do now is brownout, because the Fukushima nuclear power plant was damaged by tunami. There are serious concerns for coming summer. Every family has to save 15% of normal electrical power. So we should try the day light saving time this summer in Japan. 


Tokyo
April, 2011

今朝の情報番組で、日本への外国人旅行者が減少したままなかなか回復しないので、日本の安全性を海外に広めたいというような内容が報道されていました。私も同感です。

東京ディズニーランド“Tokyo Disney Resort”は既に通常営業となり、28日からは東京ディズニーシーも運営を再開すると報道がありました。もちろん、広範囲で被災地はまだまだ厳しい状況のままであることも事実ですが、日本全体として考えれば、以前と同様、私たちは安全に暮らしています。

昨日、近所の公園の前を通ると、久しぶりに欧米人家族が小さな子供を連れて遊んでいるのを見かけました。ようやく一時滞在先から戻って来たのかもしれないと思いました。

先週末には外国人の多く住む地域を散歩していると、以前のように外国人の家族を見かけるようになりました。仕事の関係で滞在していると思われる欧米人家族の姿はよく見かけますが、地震が起こる前までたくさん来日していたようなアジア諸国(中国・韓国・台湾)からの団体旅行客は、今のところキャンセルになってしまっているそうです。
きっと個人旅行者が東京の様子を見ると、あまり変わったところがなくて驚くかもしれません。しかも浅草や築地などの人気の観光名所も空いているので、遊びに来るのには絶好の機会かもしれません。

東日本大震災後、東京近郊に住む人々でさえ、一旦自宅を離れて、安全な関西圏へ非難する現象が起こりました。東京にいても多くの余震や一時的な食料不足による不安やストレスが多いので、早々に脱出したようです。ちょうど連休や春休みと重なったので、旅行に出かけてリフレッシュできたという友人たちもいました。

日本人でもそんな状況でしたので、本国のある外国人にとってもきっと不安で、一刻も早く日本を抜け出したいと思ったことでしょう。

しかしそんな状況は時が経てば沈静化し、6週間が経過した現在では大震災以前と変わらない生活を送ることができています。大きく変わったことは、災害に対する意識が余計に強くなったことだと思います。東京に住む私たちでさえもある程度の規模の地震を経験したことは、大きく影響していると言えます。そうは言っても、もともとが地震の多い島国なのですから。。

我が家でも今まで準備をしたことのなかった防災グッズを用意しました。いざと言うときに、何を持って避難所へ行くべきなのか…また東京に直下型大地震が来た場合、家の中はどのくらい凄い状況になるのか…想像を絶します。
取りあえず必要な物を用意したつもりでも、リュックサックはパンパンで、そんな重い荷物を持って、地震後の不安定な建物の10階から非常階段を降り、しかも避難所まで歩かなければならないのですが、果たしてできるのでしょうか。。。

せめて飲み水だけでも常に確保しておこうと、ペットボトルの水は用意するようになりました。原発の影響で水の安全性が問われていますので、できる範囲で料理にも利用しています。
特に乳幼児や成長期の子供を育てている場合は、気にせざるを得ない状況です。友人たちと話をしていると、どのママたちも情報に過敏で神経質になりすぎている感じはします。将来の我が子の健康を守るためにも親は必死なのです。

私たちにできること、しなければならないことは、やはり節電だと思います。我が家の先月の電気料金がその前の月に比べて20%下がりました。単純な比較はできませんが、地震直後からの計画停電のこともあり、エアコンの利用は極力控えました。寒い場合は上着や毛布を膝にかけて、なるべく点けないように心掛けました。友人とメールで連絡を取ると、やはりその友人もエアコンの使用を控えているとのことなので、何とか切り抜けることができました。自分だけが…と思うと辛くなるところですが、同じように考えている人がいると分かると安心できるものです。

経済産業省の4月21日の発表で今夏は、一般家庭で15%の節電が必要とありました。今の季節は過ごしやすく日中も丁度良い暖かさなのですが、これからやってくる梅雨と夏の蒸し暑さを考えるとどこまで節電に取り組めて、果たして耐えられるのか心配なところです。

街の派手な照明や大型スクリーンからの賑やかなコマーシャルが消えて、個人的には静かで良くなったなと思う面もありますが、デパートや飲食店を始めとするほとんど全てのお店が節電をしなければならない状況は少し寂しい感じもします。

先週、夫がアメリカ出張から戻ってきました。イースター休暇中だったので、娘が以前通っていた学校はちょうど休みでした。多くの家族はどこかに出かけます。サンノゼは相変わらず、明るくのんびりした街だったそうです。

先月からサマータイム“Day Light Saving Time”に入っていますので、昼間の時間が1時間長いです。これから夏に向けて外出の機会が増え、パーティーや様々なイベントも盛んでしょうから、経済的な効果も期待できる季節だと思います。

カリフォルニアへ引っ越しをした7年前の夏、昼間がとても長くて驚きましたが、その分、外出していても安心で、気分的にも明るくなり、結果としては毎年夏を楽しんでいました。小さな子供にとっては、何時までも公園で遊びたい(夜8時を過ぎても明るいので)気持ちが強くて家に帰りたがらないことや、まだ外は明るいのに寝る時間になってしまうなど、なかなか慣れない部分もありました。娘の学校の友だちの中には、「外が明るいので宿題ができない。」とママを少し困らせるような、でもとてもユニークなことを言う子供もいました。

既に日本の企業の一部では、サマータイム制度を独自に取り入れているとのニュースを知りました。しかし社会全体が統一しないと、仕事で他社と関わる限り、結局あまり変わらないような気もします。かえって残業時間が長くなってしまうことなども言われています。
メリットとデメリットが多く言われていますが、多民族国家のアメリカで実施できているのであれば、日本でも可能ではないかと思います。導入時の混乱は避けられないかもしれませんが、現在のこのような状況であれば、思い切って実施してみることも必要なのではないでしょうか。

昼間の時間が長い方が、旅行者にとっては滞在しやすいのではないかと思います。一年のうちでも過ごしやすいこの時期、それに私も大好きな新緑が美しいこの季節にたくさんの旅行者が再び日本を訪れる日が来れば嬉しいです。

2011年4月21日木曜日

Happy Easter

Summary:We don't have fun events like the Egg Hunt in Japan. I only see some chocolates for Easter at shops.
However, I found a little Easter event, which is a flower arrangement for kids. It held at a flower shop last weekend, so my daughter made an arrangement there.
We used  to go to the park to join the Egg Hunt every year. Also, we went to our friends house to dye and decorate eggs in California. My daughter said it was really fun. This was an exciting spring event for her.

April, 2009
先日のブログにも書いたとおり日本で春の訪れを感じるのは桜の開花頃ですが、アメリカではイースター“Easter”(キリストの復活祭)のようです。Valentine's Dayが終わると、お店の中は一斉に春のデザインに変わります。アメリカのイベントは濃い色のイメージ(クリスマスは赤と緑、ハロウィンはオレンジと黒など)が強いですが、イースターで使われる色彩は、黄色やオレンジやピンクに黄緑などの淡い色で、デザインはうさぎやひよこにたまごなど可愛らしいものが多いです。春のイメージカラーは日米共通なんだなと、毎年見ているだけでわくわく楽しい気分になったものです。

イースターのためのカードやキャンディーやバッグ、それに春らしいデザインの小物など、お店には数々の品物が置いてあります。プラスチック製のたまごやたまごに色を付けるための道具セットもたくさん売っています。

子供服のお店では、たくさんのカラフルなドレスを見かけます。Easter Sundayの当日は、子供たちは春らしいふんわりしたロング丈のドレスを着て教会へ行きます。

日本では一般的にイースターのために何かをするということはないので、カリフォルニアへ行くまでは全く何も知りませんでした。最近では、イースターのデザインのお菓子を見ることがありますが、アメリカにあるようなテーブルウェアや小物などを見かけることはほとんどありません。

April, 2011
先週、娘はお花屋さんの子供向けイベントでイースターのアレンジメントを作りました。春らしい黄色のガーベラやオレンジのアルストロメリアと白いカーネーションを使い、たまごの飾りは水色の粘土で小さくたまごの形に作ったもので、竹串に刺して最後に飾りました。日本ではEgg Huntのような楽しいイベントはありませんので、懐かしく思い出しながらダイニングテーブルの上に飾っています。




Murdock Park
April, 2006
Egg Huntに初めて参加したのは、San JoseのMurdock Parkでした。公園には教会のボランティアの方が写真を撮ってくれて、帰りにはプリントした写真をもらって帰りました。このイベントも全て教会のボランティアの方々によって催されていました。

この時期のショッピングモールにはEaster Bunnyがいて、小さな子供たちが写真を撮っている様子をよく見かけます。春の人気者といったところでしょうか。

イースターのイベントは、私たちの住んでいたコミュニティーでも毎年開かれていました。事前に、Egg Huntのボランティア案内のチラシが回ってきて、「プラスティック製のたまごがある方は持ってきてください」とか「たまごの中にキャンディーや小さなおもちゃを詰める係」や「当日、たまごを準備する係」などのボランティアを募集していました。

Egg Hunt
April, 2006
色とりどりのプラスチック製のたまごが芝生や少し離れた茂みの中や木の幹や根元にもたくさん置いてあり、それを子供たちは一斉に拾い集めます。開始時間の少し前に、年齢の幼い子供たちが呼ばれて、次に少し大きな子供たちというように年齢順に並んで待ちました。
娘が幼い頃は、一緒に芝生の上のたまごを拾い集めるのを手伝っていました。子供と同じように見つけて拾うだけのことですが、意外に大人も夢中になって楽しんでいました。
当時の娘は、たまごよりもおもちゃを集めることに興味があったようです。

つい先日、Valentine's Dayでたくさんのキャンディーをもらったと思ったら、どの子供もまたバッグ一杯にキャンディーや小さなおもちゃを抱えて満足そうでした。

ある年、友人のHeidiに招かれて、初めてたまごの色付け“Egg Dye”をしました。ゆでたまごに専用の染料で色を付けて、絵を描いたり、シールを貼ったりします。子供たちはアートを楽しむ感覚で熱心に飾り付けをしていました。

イースターの朝、子供たちは起きると家の中や庭へ出て、Easter Bunnyによって隠されたというたまごを探し回るそうです。また、お菓子やおもちゃの入ったイースターバスケットももらえるので、子供にとっては幸せな日曜日だと思います。

大人の優しい遊び心が、子供を楽しくさせるアメリカならではの習慣だと思います。日本ではなかなか出来ないことかもしれませんが、楽しい思い出のイベントの一つとしていつまでも娘の心の中にも残っていることと思います。

2011年4月17日日曜日

The Ballet Recitals

Dance Attack!
Sunnyvale, CA
日本へ帰国して始めてのバレエ発表会がありました。バレエ学校に入学したのは、昨年の7月です。帰国直前の6月最初まで、カリフォルニアのバレエスクールに通っていたので、あまり間を空けないで続けさせたいとも思い、近所のバレエ学校の見学をしてからすぐに入学することを決めました。

小学1年生と2年生が一緒のクラスでしたが、初めて練習を見学したとき、一人一人が真剣で全員のレベルの高さに驚きました。その日の生徒は、1年生と2年生が合わせて22-23人くらいいたと思いますが、先生はメインの先生1人とアシスタントの先生2人が個人別にとても丁寧に指導していたのが印象的でした。

発表会の1ヶ月程前に東日本大震災が発生し、追い込みの練習時期にもかかわらず、翌一週間は休校となってしまいました。娘の学年は練習が再開しても直前まで全員が揃いませんでした。12人で踊るので、先生方も子供たちにとっても練習し難い状況だったと思います。どうにか本番では、全員揃って舞台に立つことが出来て、全員が堂々と踊っていました。一度切りの本番ですので、もう一度やり直すことなどできません。練習では上手く踊れたいたはずが…本番で少し上手くいかなかった娘は、舞台上での本番の難しさに多少気付いたようでした。(と思いますが…)

4月に入っても、M7規模の余震が続く中、発表会のあった週末だけはどうにか大きな余震もなかったのは幸いでした。そして週明けの月曜日、震災から丸1ヶ月が経過して先月の出来事を再び思い返していたところに、M7.1の余震が福島で起こり、東京も震度4の揺れがありました。また写真立てが棚から落ちて来ました。本当にもうこれ以上、被害が大きくならないことを祈っています。。

Memorial Park
June, 2006

娘のバレエの発表会の話に戻りますが、初めてステージに立ったのは、3才半の頃です。当時通っていたDance Attackでは、年度の終わり(夏休みに入る前)にリサイタルがありました。その年は、Memorial Parkの野外ステージで"Penguin Dance"をタップシューズで踊りました。Ballet&Tap Classにいたので、バレエとタップダンスの両方を習っていました。幼いころから娘はあまり緊張するタイプではなかったようで、むしろ楽しく踊っていたようでした。小さなペンギンたちのお遊戯みたいで、それぞれが自由に踊っていました。

Foothill College
June, 2007


翌年は、Foothill CollegeにあるTheatreでの本格的なステージ上で初めて踊りました。そのときは、バレエシューズで"What a wonderful world"の曲に合わせて踊りました。3-4才のクラスなので、まだみんなあどけなくてでもとても一生懸命で可愛らしかっです。
リハーサル1日と本番が2日ありました。





Memorial Park
June, 2008

Dance Attackでの最後の年は、再びMemorial Parkでの野外ステージでした。初夏のシリコンバレーは太陽が眩しくジリジリ照っているので、とても暑いです。娘は、Ballet&TapとPre-balletの2クラスを取っていたので、2度出演しました。







Memorial Park
June, 2008
Dance Attackでは、小さな子供でもクリスマスイベントでダウンタウンのストリートショーに出たり、老人ホームで踊ったこともありました。舞台経験だけは人並み以上かもしれません。

娘は踊りが好きで、Dance Attackに行き始めた2才の頃から、家の中だけではなくて外出先でも踊っていました。娘が3才頃のことだったと思います。ある日、娘とTargetに買い物へ行くと、いつものように娘は広い店内を自由に踊っていました。するとアメリカ人の女性に"I love your dance!"と声をかけられました。でも気持ち良く踊っていた娘の反応は、"………"で、ちょうど自我が芽生えた時期で難しい性格(?)だったのか、すっかり気を悪くしてしまいました。せっかく褒められていたのに…

娘がダンスを本当に好きになったことのきっかけは、"Shall We Dance?"だと思います。アメリカで買ったRichard Gere主演の映画で、Jennifer Lopezの華麗なダンスを毎日のように何度も繰り返し観ていました。個人的には草刈民代さんの日本版の映画も好きですが、アメリカ版にはアメリカらしいユーモアもあって多少違う設定場面もありますが、家族で楽しめる内容だと思います。

娘が5才半の頃には本格的にクラシックバレエを習わせたいと考えて、Western Balletに通うことになりました。Western Balletでは2年間、年末の"The Nutcracker"以外にも"Children's Recital"に2度出演しました。華美な衣裳ではなく、練習用のレオタードで、踊りも練習曲を中心に作られたものでしたので、日頃の練習の成果を発表するのが目的のようでした。
当然、参加費は必要諸経費程度で、日本の豪華なバレエ発表会と違って、低学年の生徒らしい質素なものでした。

今はマンションに住んでいるので下の階のご家族に私の方がとても気を遣いますが、それでも娘は気の向くままに踊っています。
今まで経験したバレエスクールでは、たまたま娘の年齢と興味やそのクラスの先生との相性が良く、楽しく通うことができました。
これからは技術的な練習がたくさん必要となります。小学校3年生になり、練習内容も昨年より難しくなりますが、何時でも何処でもバレエが好きである限り、これからも続けてもらえればと思っています。

2011年4月5日火曜日

The cherry blossoms “Sakura” are blooming and Spring has come!

Summary:Every April is a beginning of the year for the schools and the companies in Japan. They have ceremonies for the new students and the new recruits when the cherry blossoms “Sakura” are blooming. My daughter never had ceremonies at Preschool and Kindergarten like Japanese schools.

Every year we go to the park to watch the cherry blossoms and have a party for drinking and eating some foods. On the other hand, there wasn't a party like Japan in the U.S..
I am looking forward to seeing the season of cherry blossoms this year. However, we have to hesitate to have a party with cherry blossoms because there are still many disaster victims from the earthquake and the tunami.

We went to the cherry blossom festival in Cupertino, California some times. There were some Japanese cultural events during the festival such as foods, shops, Japanese Tea Ceremony, Japanese Classical Dance, Aikido and Taiko Drum. One of my friends told me that she loves Taiko Drum. It looked like popular whenever I see the Taiko Drum show.

The cherry blossom is a seasonal tradition and also a bridge between Japan and the U.S.. I hope that many American people will visit Japan and enjoy the cherry blossoms in full bloom in the future.

Cherry Blossom in Tokyo
April 4, 2011
長い冬が終わり、少しずつ春の訪れを感じる季節になりました。東京の日中の気温が15度前後(60F)になると、春らしい暖かさを感じます。
日本の4月は企業や学校にとっては、一年の始まりの月です。入学式や入社式シーズンのためか、4月最初の土曜日の朝、駅前にはスーツ姿の学生や人々が多く見られ、山手線は平日に近い混雑だったので驚きました。

アメリカでは春の訪れをイースター“Easter”(キリストの復活)と共に祝います。また学年が進級する新学期は夏休み後ですので、日本とは大きく異なります。
かつて娘のプリスクール*の初日には日本のような入園式はありませんでしたし、キンダーガーテンの始まりの日にも入学式はありませんでした。初日には学校で予め用意するように指定された文房具などの持ち物を持って、そのままクラスへ向かいます。娘は自分の名前が机の上に貼ってあったので、見つけるとそこに着席して始業時間まで待っていました。
一方で娘は小学校1年生のとき、サンフランシスコ日本語補習校にも入学したので、日本の伝統的な入学式を体験しました。在校生に迎えられ、学校の体育館ではきちんと整列して校長先生などのお話を聞きました。

暖かい日が続くと東京では4月の初めには見頃を迎える桜の花は、今年は場所によってはまだ蕾の方が多いほどです。入学式は4月2週目からの所が多いので、桜の満開時期と重なるかもしれません。

東日本大震災直後ということもあり、毎年恒例のお花見と称した宴会は自粛モードという報道もありました。 この時期は新入生や新入社員を歓迎する意味で開かれることが多いので、主催する側も身長に検討する必要があると思います。
個人的には久しぶりに桜の季節を日本で迎えられるので楽しみにしていましたが、こういう時期ですので被災地の方々のことを考えつつ、桜を楽しむべきではないかとも思っています。

カリフォルニアでは日本のように巨大で立派な桜の木を何本も連なって見ることはありませんでした。サンフランシスコの通りにも桜の木はありますし、公園でも所々、見かけます。けれども日本でよく見られる光景である桜の木の下でレジャーシートを敷いて座り込み、お酒を飲んだりお弁当を広げたりすることはありません。歌を歌ったり踊って騒ぐことなどは考えられないことです。

毎年、CupertinoにあるMemorial Parkでは、Cherry Blossom Festival**が開催されます。と言っても、その桜祭りが開かれるのは4月下旬か5月初旬です。その頃にはすっかり暖かくなっているシリコンバレーでは、桜の咲く時期はとっくに過ぎています。初めてそのお祭りのことを知ったときは、日本のお花見のイメージが強くあったので、とても違和感がありました。お祭りは2日間開催され、公園には日本やアメリカの食べ物、雑貨などたくさんの出店で賑わっていて、ステージではお琴や尺八や三味線、それに和太鼓の演奏、合気道のパフォーマンス、茶道や日本舞踊にフラダンスなどが催されます。出演者は、日系アメリカ人や日本人に加え、もちろんアメリカ人などもいます。

Nihonmachi Street Fair, San Francisco
August, 2007
ある年、友人たちとステージを見に行ったとき、そのうちのアメリカ人の友人が、“I love Taiko Drum.”と言っていました。確かに太鼓の演奏のときには、あちこちから大勢観客が集まって来ました。日本人である私も聴き入ってしまうほどの荘厳な太鼓の音色が、遠く離れた地でも日本の伝統文化として受け入れられていることにとても嬉しく思いました。和太鼓演奏をよく知らない娘もとても気に入っていたようで、サンフランシスコの日本町で開かれていたNihonmachi Street Fairにたまたま行ったとき、和太鼓の演奏が始まると立ち止まって演奏をじっと見つめ、その音色に聴き入っていました。日本人としての本能なのか、アメリカ人的な感覚で日本文化に興味を示していたのか…どちらにしても和太鼓は人々の心を強く惹きつけるのだと感じました。

合気道は厳格な武道としてのイメージがありましたが、そこではアメリカの音楽に合わせて、ショー仕立ての演出になっていました。全てが日本ならではの方法ではなくても、アメリカにいる多くの観客が興味を持つ楽しい演出でパフォーマンスを披露することが日本の文化を広めるきっかけとなるのだとも考えさせられました。

桜は日本の風物詩としてだけではなく、アメリカにおいては日本文化を広めるための大切な役割を十分に果たしています。でもいつか、アメリカに住む多くの人々にも日本の素晴らしい桜を観てもらえる日が来ればと願っています。

被災地の皆様にとっても、桜の花が疲れた心身を少しでも癒すこととなりますことを願っています。

*プリスクール:ブログ内 Playdates make you learn more about America 参照

**Cherry Blossom Festival:他にもサンフランシスコのJapan Town Northern California Cherry Blossom Festival 参照

2011年3月28日月曜日

Aftermath of the Earthquake

Summar:For the past two weeks, I was impressed by the word “Sougofujyo” in Japanese which means to help one another.
There are over 19 million people at the evacuation places such as city halls, schools, hospitals and so on. They are helping each other politely to live with no fights everyday.
We are having many supports from 133 countries plus 39 international organizations. I am very glad to hear this news on the website of Ministry of Foreign Affairs of Japan.
I watched on TV that the New Jersey elementary 3rd graders sang “We are the World” for Japan. This will be encouraging the people which are at the evacuation places.
It is a panic buying water bottles, rice, canned foods, toilet papers and gas and more and more around Tokyo.
We have a serious concern about the nuclear power plant which was affected because our lifelines are impacted by the accident related to the electric power, water and more in the future ...
We have to share the right information and take right actions to live safely.

東日本大震災から2週間が経過しました。毎日、テレビやインターネットでは震災に関する様々な報道がされていますが、“相互扶助”という言葉がとても印象に残りました。

現在も避難所には19万人以上の人々が一時的な生活を余儀なくされています。東京23区の人口と比較すると、港区や渋谷区や荒川区に値する規模です。その数を知るだけでも、そこで生活している数多くの方々の不便さや不満や不安などを始め、底知れない苛立ちをも察することができます。

今年は春の訪れが遅く、東京でも未だにダウンジャケットやマフラーが必要なくらいの真冬並の寒さです。被災地の天気予報では気温が氷点下を示しています。きっと体調を崩されている方の数は日ごとに増加していることだと思います。
病院の復旧も遅々として進まないなかで、廊下で治療を受けたりベッドではなく床に横たわる方々の姿がとても痛々しく伝わって来ますし、その状況の中で必死に医療活動を行う先生方の様子もメディアを通して伝わって来ています。薬不足も深刻な問題になっています。

救援物資が直ぐには届かず、自分たちの手で立ち上がろうと、家にある食材を持ち寄り、おにぎりや温かいお味噌汁を数百人分作っている被災者の方々の姿がテレビに映し出されていました。その時点で、多くの方々のご家族や親戚や知人など行方不明で気も休まることのない状況でも、人々は助け合い、懸命に一歩ずつ前へ進もうとしている姿に感銘を受けました。

震災直後に日本国内に限らず世界中から被災地へ支援の手を差し伸べる動きが始まりました。地震のあった翌12日には世界の50もの国から、それがさらに広がり、世界の133の国・地域および39の国際機関等から支援の申し入れがあったということを外務省の報道(2011年3月25日 23時00分現在)で知り、自分のことのようにとても嬉しく思いました。

海外の様子を伝えるテレビ番組では、復興への願いを込めて折り紙300枚分の鶴を折っている映像や、ニュージャージー州の小学校の3年生100人が、日本の国旗をイメージした赤と白のTシャツを着て、“We are the World"を歌っている様子が放送されていました。学校で災害について話し合ったり、被災地の人々を思い何かメッセージを送ろうと行動してくれるその気持ちが大きな励みになるのではないでしょうか。その映像が一人でも多くの被災地の方々に届けば良いなと思います。

日本のニュースでも海外から見た日本については度々取り上げられていますが、カリフォルニアに住む日本人の友人からも日本人の礼儀正しさや忍耐強さについて報道番組で流れていたというメールが来ました。その内容は次のとおりです。

-----ABC、NBC、 CNNなど報道番組で日本人の礼儀正しさや忍耐強さ等々がニュースとなっていたことには日本人としてとても誇りに思い、日本国外の人達に日本人の良さを再認識して貰えて嬉しく思っています。その報道番組を見たのでしょう、普段無口なアメリカ人のクラスメイト達が私に“日本人は素晴らしい”と言ってくれたのはちょっと“うるうる”とくるものがありました。-----

日本から遠く離れた場所に住む友人も日本に家族はいますし、毎日ニュースを欠かさず見て、震災のことをとても気にかけています。また日本への一時帰国も考えていたそうですが、一旦はキャンセルをして航空チケット代の返金分を義援金として日本赤十字社へ寄付したとありました。

今回の震災のニュースをきっかけに東京に住む私にも多くのカリフォルニアの友人たちから励ましのメールが届きました。
-----とても心配しています。何かお手伝いできることはない?何か不足しているものはない?日本に何か送りたいのだけど。アメリカに来たら家に滞在して良いよ。日本のために祈り続けます。などなど-----
アメリカに住む友人たちは今回の震災の義援金のことについて色々と調べてくれて、Facebookの中で情報をシェアしています。一人一人ができることは小さく限られているかもしれませんが、きっと誰かを助け励ましていることでしょう。

関東地方では物品の買いだめや原発に伴う放射性物質と水の問題など、今後も長期に渡り困難な状況が続くであろうと考えられます。情報を慎重に受け止めて、どのように対処すれば良いかを考えて行動しなければいけません。

私の友人の親戚が岩手県の陸前高田市と大船渡市の奥地に住んでいるそうですが、道が通行止めでバスが通らず、家から街へ出ることができない状況だそうです。その土地へは物資も運ばれないので、残り少ない食料や生活用品の在庫に焦りと苛立ちを感じているそうです。地震の前に来ていたヘルパーさんも来ることはできません。ガソリン不足も深刻な状況です。交通事情の困難な東北地方へは東京からは迎えにも行けず、町役場に問い合わせをしても人手が足りず、それでも順番に対応してくれるのを待つしかない状況なのだそうです。このままでは危険な状況に陥ってしまうかもしれないと思うと胸が痛みます。

この震災がもたらした被害の爪あとは一体どこまで広がっていくのか…不安の続く毎日ですが、こういうときだからこそ、しっかりと地に足をつけて生きたいと思います。

2011年3月20日日曜日

Japan Earthquake Experience on March 11th, 2011

Summary:We had a 9.0 magnitude earthquake on March 11th, 2011 in northeast Japan. The mega tunamis affected us a tremendous disaster. I was in Tokyo, but I never felt such a huge earthquake. My house was a mess. After a week later, we still feel middle size aftershocks everyday.
When the earthquake happened, my husband couldn't come home because all of the trains stopped. I was so nervous and had some fear at the same time.
Also we couldn't use phones or cellphones. However, I could use e-mails and facebook from my iPhone, so my friends encouraged me a lot on the internet.
Please pray for Japan to restore as soon as possible.

今回の甚大な災害について、ご家族を失くされた被災者の方々に寄せる言葉さえも見つかりません。一日も早い復興を切に願うばかりです。
被災地からは遠く離れた東京での小さな経験に過ぎませんが、大地震発生から一週間が過ぎようやく気持ちが落ち着いて来たので、今後また起こりうるだろう災害のためにその記録をここに残したいと思います。

小学生の頃に担任の先生から聞いた1923年9月1日の関東大震災(M7.9)の話は今でも強く印象に残っています。関東大震災から約88年後の2011年3月11日午後2時46分、それが身近で現実のものとなりました。当時、60年に一度、関東地方を中心に大地震があると騒がれていましたが、その日がやって来たのは、30年近く経ってのことでした。

Messy Room
マンションの10階部分にいた私が最初の揺れを感じたときは、何時もの震度2〜3程度かなと思っていましたが、小刻みな揺れから、次第に揺れが強くなり始め、めだかの入っているガラスの鉢の中から水がチャポチャポ飛び出すのを見て、「今回のは大きい!」と思いました。ややパニックになっていた私はどんな行動をしたのかはっきりとは思い出せないのですが…家全体がギシギシ音を立て、まるで大きな船に乗っていてそれが波に揺さぶられるかのような大きな揺れでした。

いつもの地震以上に長く感じた揺れが収まったので、とにかくテレビで今の地震の情報を得ようとしました。その時点の報道では、M8.8(後にM9.0に修正)、宮城で震度7、東京23区は震度5弱(一部では震度5強)でした。でも10階での揺れ方は、体感だと震度5弱を上回る大きさだったと思います。

咄嗟に娘のことが心配になりました。この地震の3分ほど前に、娘は小学校の公衆電話から「学校で放課後遊びをしても良い?」という電話をかけてきたところで、クラスのお友だちの何人かも一緒に学校に残っていることはわかっていたので、とにかく無事だろうと思いました。このときには、まだ周囲の被害状況もわからなかったのですが、部屋の電気はついていて建物自体は無事だったこともあって、娘はいつものように帰って来るものだと考えていました。

散らかった家の中を片付けようとしていると、3時15分頃、次の地震が襲って来ました。2度目も感覚としては1度目と同じように強く揺れました。ニュースでは茨城県でM7.4、震度は6弱、東京は震度4程度のようでしたが、1度目と同様にギシギシという音とともに揺れを感じました。さすがに2度続けてともなると恐怖感と高揚感で、食器棚を押さえながら「お願い、止まって!!」と叫んでいました。

もちろん、こんなに大きな揺れをしかも2度続けて体験したのは人生で初めてのことです。リビングに居た私は、置き時計や写真立てが落ち、立てかけてあった絵が倒れ、ワインが棚からゴロゴロと転がりあっという間に落ちて行くのを見ました。キッチンでは、冷蔵庫の上にあったケーキ型などの軽いもの、食器棚の上のシリアルの箱など、落下しても比較的安全なものばかり落ちたのですが、冷蔵庫はドアが開き、もう少しで中身が出るというところでした。キッチンの上には、たまたまブリタの容器に水を入れたままで置いてあったので、それが見事に床へ落ち水が流れ出してしまいました。

一旦、揺れが収まったので、この2度の突発的な惨事に唖然としていたものの、すぐに娘のことが頭に思い浮かびました。「これは迎えに行かなければ。」と思い、娘と一緒に遊んでいたはずのお友だちのママに電話をしてもつながりません。携帯でメールも送ってみましたが、返事は来ませんでした。

ニュースではすぐに東北地方を始め広範囲で大津波警報が出ていました。またお台場のすぐ近くで火災が発生している様子がテレビで流れたので、家から見える範囲では火災が起こっていないか窓から確認しましたが、幸いなさそうでした。

洗面所は一部で引き出しが開いて、中身が飛び出していました。家具は倒れませんでしたが、箪笥の上の小物は床に飛び散っていました。比較的軽い姿見は最初の地震で簡単にバタンと倒れる音がしましたし、やや重量のあるゴルフバッグも2つとも見事に倒れていました。
娘の部屋に行ってみると、部屋中に本棚の中の本類が散らばっていました。本棚自体は特に下半分が重いので、倒れなかったようです。それでも、本棚は20cmくらい前にずれ、寝室のダブルベッドもやはり20cmくらい前にずれて、食器棚は真横に15cmくらい動きました。一番軽いCDラックはガタガタしていて、薄型のテレビ(42インチ)もいつ倒れてもおかしくはなかったのですが、本当に無事でよかったと思いました。ちなみにテレビにはテレビ台はなく床に直置きしています。

Fire-King
所々、落下物によって床に傷は出来たものの、壊れたのはFire-Kingのジェダイのバターカップだけでした。コーヒーテーブルの下の飾り棚部分に置いてあったものですが、下から15cmほどのガラス棚から床にドスンと落ちてしまい、残念ながら真っ二つに割れてしまいました。
食器棚の食器やキッチンの備え付けの棚に入っているグラス類は幾つか傾いてはいたものの、破損はありませんでした。本当にラッキーでした。
最後にトイレへ行ってみると、タンクから水がこぼれ出ていて床が濡れていました。

後日、同じマンションに住む方々と話をしましたが、同じフロアの方は、ガラスの食器棚が倒れて壊れてしまい、本棚も倒れたそうです。下の階の方も家具が倒れたそうです。またゴミ捨て場には割れた食器がたくさん捨ててあったので、我が家よりも被害の大きかった人も多くいたようでした。他のマンションでは、冷蔵庫やテレビが倒れたという話も聞きました。

たまたま住んでいる部屋の向きで揺れの方向が違ってくるので、家具の倒れ方にも違いがあったのかもしれません。もしくは我が家の食器棚にはびっしり食器が入っていて、普段から棚が弓なりに曲がるくらい重かったのが良かったのかもしれません。地震のときは、危険のない程度に出来る限り食器棚の扉が開かないように押さえていました。これが震度6以上だと、恐らく自分自身が立っていられないので、食器棚から食器が出てしまったり、本棚が倒れてしまうことがあったかもしれません。

揺れが落ち着いて、取り急ぎキッチンの床にこぼれた水やめだかの水槽から出た水を拭いて、急いで娘を小学校まで迎えに行くことにしました。でもこの間も余震のことが気になり、とても不安でした。友人に電話をかけても通じません。携帯電話ばかりでなく固定電話もかかりませんでした。もちろん、メールの送受信もできませんでした。

娘を無事、小学校で引き取ることができたものの、夜間、急な停電やガスが使えないといけないので、多少の食料品や水を買ってから帰宅しました。エレベーターは自動停止していたので、非常階段で両手に荷物を持ちながら上がりました。

夕方には携帯のメールが使えるようになり、夜6時過ぎに固定電話は復旧していました。
両親からは夜に連絡が取れました。私の両親は新宿にいたので、そこから2時間かけて歩いて帰宅したと電話で連絡がありました。
日頃からウォーキングを心がけている60代後半の両親は、まさかの災害時のことをも想定していたので、怪我もなく歩いて帰ることができたようです。

両親の家は3年くらい前に耐震工事を済ませていたので、物が落ちたり倒れるといった被害が全くなかったそうです。2階建ての家屋で、物はたくさんありますが、こんなにも被害の状況が違うのだということが分かりました。

その日、夫は年に数回あるかないかの大船(神奈川県横浜市)での研修に行っていました。テレビでは電車が全線不通となり、無理な帰宅をしないで会社に留まるようにと報道しています。そのとき、夫は今晩は帰宅できないだろうなと思いました。大船から自宅まで40kmはあります。途中、多摩川などもあり、とても歩いて帰る距離ではありません。通常のオフィス勤務だったら、家から約7kmのところにあるので歩いて帰れたと思うのですが。。災害時にそれぞれがいた場所で、家族がすぐに会えるかどうかが決まってしまうのだと実感しました。

大船駅で帰宅難民となった夫は、一晩を鎌倉芸術館で過ごしました。毛布が支給されて、廊下の椅子で休んだそうです。しかも最初の3時間くらいは停電していたそうです。翌朝7時に電車が動き出し一斉に帰宅ラッシュが始まったそうです。自宅に帰って来たのは、地震発生時から21時間が経過していました。

Traffic Jam
 車による渋滞は深夜まで続いていました。自宅からは首都高速を眺めることができるので、いつもとは違う状況がはっきりとわかりました。車はゆっくりと前に進み、ずっと先までライトが光っていました。都内にいた人でも、夕方3時半に出て夜11時半に帰って来たと話していました。

余震が頻繁に続く中で、娘と一晩を過ごすのはとても不安でした。結局、一晩中テレビを見ながら、うとうとしていたものの熟睡することはありませんでした。

午前3時59分、再び強い揺れで目が覚めました。長野でM6.6、震度6強でした。東京は震度3程度だったと思いますが、まだ夜の明けない時間帯の地震は恐怖です。3度目ともなると、日本列島がどうにかなってしまうのかという新たな不安を感じました。

テレビで刻々とわかってきた震災や津波の状況、地震の発生メカニズムなど、見ているだけでも恐怖でした。そんな中、私を助けてくれたのは、e-mailとFacebookでした。

iPhoneを利用しているので、携帯の電波が届いている限りインターネットには接続できます。たまたま娘を迎えに行く直前の3時46分頃にGmailを確認すると、カリフォルニアに住む日本人の友人から津波を心配するメールが届きました。誰とも連絡が取れていない私は、そのメールを見て少し気持ちが落ち着きました。
それから、iPhoneでFacebookにもカリフォルニアの友人たちからメッセージが届いているのも確認しました。しかも最初のメッセージを受信した時間は3時17分です。地震からわずか30分ほどのことでした。
両親や近所、それに東京にいる友人たちとも携帯メールでは連絡が取れない不安な状況だっただけに僅かながらも救われた気持ちがしていました。
夫とは夕方に一度、夫の会社のメールとGmaiを使って安否確認ができたので、一先ず安心をしていました。

夜になると娘は日中の気疲れからか、何時になく7時過ぎには眠ってしまいました。食事も取らず、何度起こしても目が覚めませんでした。私もニュースで徐々に分かってくる津波の様子を見ているだけで…もう胸が一杯一杯で…何も食べることはできませんでした。

それでもFacebookに大地震のことと夫が帰宅できない状況を載せると、すぐにアメリカの友人たちから安否を気遣うコメントが帰ってきました。そのやり取りが、私の不安と恐怖をいくらか取り除く助けになったと思います。それはGmailを使ってのメールのやり取りでも同様でした。

地震発生後、Facebookでアメリカ人の友人が日本のホストファミリーと電話連絡が取れないので、Facebookを通じて何とか連絡を取りたいとのコメントがありました。その2日後くらいには連絡が取れたとコメントがあったので、それを読んでほっとしました。

電気が通っていても固定電話がつながらない、しかも携帯電話はパンク状態でしたが、災害発生時にインターネットというもう一つのネットワークによって救われた部分が非常に大きかったです。こうした経験をした人は少なからずいると思いますので、新しい安否確認のための緊急ツールとなるかもしれません。こうした災害をきっかけに、今後のスマートフォンの普及を後押しするのではないでしょうか。