2011年3月11日金曜日

Japanese White Day is our Wedding Anniversary

Summary:We have an event called White Day on March 14th besides Valentine's Day. White Day is to return sweets like cookies, chocolates, candies, marshmallows or cakes when he receives chocolates from someone else on Valentine's Day. But he needs to gift his lover something else like an accessory besides sweets. It is one of Japanese cultures which came from confectionery industry to sell chocolates and candies much more.

Japanese like to give gifts from their trip. However we like to return gifts (okaeshi) to them when we go on trips. I think it is besed on Japanese considerateness to our friends.

By the way, our wedding anniversary is March 14th. We don't need White Day since our wedding.
We went to Napa Valley as our 10th anniversary. It was a wonderful anniversary with “sweet my daughter” even though my husband didn't give me “sweet 10 diamonds”.


Robert Mondavi Winery
March, 2008
 日本では、2月14日のバレンタインデーに対して、3月14日にホワイトデーがあります。一方、アメリカの3月14日は特別なイベントの日ではないですし、バレンタインデーのお返しをするという考えはありません。
今頃は、バレンタインデーでチョコレートをもらった(もらってしまった)のでお返しをしなければならないというプレッシャーを感じている方々が多くいるかもしれません。

今年のバレンタインデーの日、夫は珍しくどこからかチョコレートをもらって来ました。お返しはどうするのかな?と何となく気にかけてはいますが。 アメリカに住んでいる間は、バレンタインデーで他人からチョコレートなどをもらったことはなかったので、お返しの習慣のことなど考えているのかどうか…ところで、このお返しをしなかった場合、「義理チョコ」をもらった夫は「不義理」のレッテルを貼られてしまうのでしょうか。。
しかもホワイトデーはもらったチョコレートの2倍や3倍返しでという話もあるそうで、不景気なご時勢に巷ではまだまだ景気の良い話が飛び交っていることにも驚きです。でも実際のところはどうなのでしょうか。。

頂き物にお返しをする習慣は日本独特の考え方のようです。状況にもよると思いますが、アメリカでは日常で物をもらったりあげたりする習慣はあまりないようです。特にお土産という考え方はないようで、日本人のようにお土産を頂いたので、またお土産でお返しをする…ということはありませんでした。でも私にとってお土産を頂くことは、どんなものでも嬉しいですし、旅先ではいつも友人のために何かないかなとお土産を探して買って帰ります。そもそも、自分のためにも人のためにも、お土産探しが好きなのだと思います。

8才の娘がバレエ教室でいつもお友だちからキャンディーをもらうので、「今日はお返しを持って行く。」といってキャンディーを用意していました。本当はキャンディーそのものを持って行くことが良いのか考えてしまうところですが、子供社会で生きていく彼女なりの友好の証なのかもしれません。

ある日、Baby Shower*に参加しました。妊婦さんはたくさんのギフトをもらいますが、そのお礼に何かの物でお返しするのではなくて、後日、直筆で感謝の気持ちが書かれた“Thank you card”が郵送されて来ました。きっとBaby Showerに来てくれた全員にカードを送ったのだと思います。
日本の出産祝いに対しての内祝いの考え方とは異なりますが、これがアメリカ人のお返しの仕方だと思いました。

ところで、3月14日は私たちの結婚記念日でもあります。そのため、ホワイトデーは結婚して以来、毎年結婚記念日としてお祝いしています。プレゼントはなくても、週末に旅行へ出かけたりレストランで食事をしています。

あるときFacebookでアメリカ人の友人が、「結婚記念日の朝に目が覚めると、枕元にティファニーの箱が置いてあったのよ!!」とコメントしていました。映画のワンシーンのような、現代版のディズニーストーリーのようなその内容に感動し、私はすぐにそのことを夫に伝えました。といっても、残念ながら我が家では起こり得ないことです。。

私たちは数年前に結婚10周年を迎えました。娘は5才を過ぎた頃で、そろそろワイナリー**へも行ってみたいなと思っていたこともあり、ナパバレー“Napa Valley”へ行くことにしました。私たちの訪れたロバート・モンダヴィ・ワイナリー“Robert Mondavi Winery”は、美術館のように素敵な建築で、アートギャラリーや彫像が至る所に置かれていました。

残念ながら、アルコールに強くない私はワインの知識は乏しいのですが、実際にティスティングをしてみると、葡萄の種類で味が違うことが良く分かりました。ワインが嫌いなわけではないので、アルコールに弱いという体質であることがとても残念です。でも、雰囲気だけでも味わえたことは良い思い出となりました。

娘にとっては、遊具などなく、もちろんワインを飲めるわけではないので、ワイナリーの敷地内をぐるぐる走り回っていただけでした。このような状況を見ると、ワイナリーには子供はほとんどいませんし、初めからアメリカ人たちは子供を連れていかないということが分かります。家族用にピクニックエリアのあるワイナリーもあるそうなので、そういう場所を選ぶと家族で出かけやすいようです。

ナパを通る一本道の脇をワイントレイン“The Napa Valley Wine Train”が走っています。私たちはワイントレインには乗車しませんでしたが、いつかは乗ってみたいなと思います。
3月はカラシの黄色い花が一面に咲いていて、ドライブ中にも眺めることはできますが、列車の中からだとまた違う気分で美しい景色を堪能できるかもしれません。3月の気候は少し寒いですが、春らしい季節でした。

ダウンタウンではフェスティバルが開かれていたので、そこでワイン以外にも食べ物を買ったり食べたりすることができて、ライブ音楽も聴くことができました。イベントなどの予定を確認してから、ワイナリーを訪れても楽しいのではないかと思います。

宿泊先は、“River Terrace Inn Napa”でした。建物の裏側に川が流れていて、川の傍のテラス席で朝食をとりましたが、朝からとても清々しい気分になりました。

ずっとナパへ行ってみたいという願いがようやく叶い、素敵な結婚10周年記念になりました。
夫からの“Sweet 10 Diamonds”のサプライズギフトはありませんでしたが、“Sweet My Daughter”と一緒に迎えられたことが何より嬉しくて幸せなことです。

*Baby Shower:赤ちゃんが生まれる直前の妊婦さんのために家族や友人たちで開くパーティーのこと

**ワイナリー:ブログ“食欲の秋を求めて”を参照

2011年3月6日日曜日

Disney Princesses and Japanese Kimono Princess

Summary:We had a 2nd birthday party with my daughter's friends. It was our first time to have a big birthday party for her. The girls wore  Disney princess dresses, but I gave a pink kimono for her, because she had a typical Japanese face and I thought kimono was better than dresses for her. Also, this was a nice presentation to show a part of Japanese traditional costume.
I had some new experiences at the party like a huge birthday cake and pinata. We were so happy to join the party, because we just moved from Japan about 7 months ago.
When my daughter was 2-year-old, she was very shy, after the party, she was changing to be an active girl.

The Princesses
March, 2005
娘が2才になって、アメリカで初めてのお誕生日会をプリスクールで仲良しの女の子たちと合同で開くことになりました。
渡米してから約半年後に、2才の娘のお誕生日会をすることは考えていなかったのですが、友人のHeidiからの提案で、生まれ月の近い女の子たち5人とその家族が集まって、San JoseのMurdock Parkで行うことになりました。
お誕生日会を公園で開くというのは、とても新鮮でした。もちろん、私自身にそのような経験はありませんので全く初めての試みです。

娘の誕生日は12月30日、他の4人の女の子たちは偶然にも2月生まれでした。カリフォルニアの冬は雨期で気候が不安定なため、3月最初の土曜日に行うことになりました。そもそもどういう感じで子供のお誕生日会をすれば良いのか、初心者の私はHeidiや他のママたちに準備のほとんどをお任せしてしまいました。

アメリカの子供のお誕生日会にはテーマがあり、Birthday GirlまたはBoyが好きなキャラクターやお誕生日会でやって欲しいことを両親が用意してあげることが多いようです。パーティーは多くの人が自宅で開きますが、公園や子供向けの施設を利用することもよくあります。娘は実に数多くのお誕生日会に招待されました。これらの楽しい体験談はまた別の機会にお話したいと思います。多いときには、週に2度呼ばれることもありました。

2才のバースデーパーティーのテーマは“Princess”ということで、ママたちは女の子たちのためにプリンセスのドレスを用意することになりました。みんなきっと洋風のドレスが似合ってかわいいだろうなと考えた私は、娘には着物を着せて「“Japanese Princess”で対抗しよう!」と考えました。どう見ても2才の娘は洋風のプリンセスには程遠い典型的な日本人顔だな…と思ったからです。

前日にCostcoでバースデーケーキを買うことになり、私も初めて連れて行ってもらいました。平日にも関わらず、その巨大な敷地の駐車場がほとんど満車に近いことに驚きました。巨大倉庫を間近に見て、「さすがアメリカだ〜。」ととても感心しました。そこに売られているバースデーケーキは初めて見る巨大サイズで、にも関わらず値段が確か15ドル前後くらいだったことにもまた驚きました。パーティーには5家族+友人などで合計20人以上はいたと思いますが、全員に切り分けても余るくらいでした。

お誕生日会当日は、子供たちが遊ぶために“Bounce House”も用意してあったので、みんな中に入ってジャンプをしながら楽しそうに遊んでいました。小さな子供たちにとっては、広くて遊具の充実した公園は、自由に思いっきり遊べて一番適していたのではないかと思います。




いよいよ子供たちは、プリンセスドレスを着て登場です。娘は大好きだった色がピンクだったのでピンク色の着物で登場しました。やっぱり日本人は着物姿のお姫様がかわいいはず…という親の気持ちを知るはずもなく、2才の娘は日本人らしいとてもシャイな性格だったため、なかなかみんなの輪に入ろうとはしませんでした。誰かが持って来たてんとう虫の模様の入ったボールを両手でしっかり持ったままじっとその場に立っていました。娘も主役の一人とはいえ、状況が把握できずに周りの様子をただじっと伺っているようでした。

ピンクの着物の評判はとても良く、初めてアメリカで日本らしい文化を紹介することができたと思いました。お誕生日会を開くことが決まったときに、義理の母が着物を日本から送ってくれたおかげで、私たちにとっても良い思い出として残っています。

しかし5人揃っての写真撮影を何とか終えると、まだ2才になったばかりのお姫様たちは、すぐにドレスを脱いで公園内の遊具へと駆け出して行きました。

アメリカのパーティーの定番であるピザを食べて、バースデーケーキの前に子供たちを並んで座らせて、全員でバースデーソングを歌いました。ろうそくを吹き消す前にアメリカでは、“Make a wish!"と言い、願い事を頭に思い浮かべます。これはとてもロマンティックな習慣だと思います。

お腹がいっぱいになったところで、Karenがピニャータ“Pinata”を用意してくれました。ピニャータはこのとき初めて見たのですが、オリジナルはメキシコで、お祭りやお誕生日会でよく使われるそうです。以来、あちこちのパーティーで見る機会がありましたが、何時でも子供たちに大人気です。


くす玉のような入れ物にたくさんのキャンディーや小さなおもちゃを詰め込みます。木に吊るして、それを子供たちが順番にバットのような棒で叩いて、外側が壊れて中身が出てきたら、一斉に子供たちがそれを拾い集めるのです。
ピニャータは、その遊び方がとても衝撃的でした。叩いて食べるということでは、日本のスイカ割り*に近いかもしれませんが、もっと豪快な感じです。


プリンセスお誕生日会は目にするもの全てが目新しく、日本から来たばかりの娘も参加させてもらえたことはとても嬉しかったですし、今でもとても印象に残っているパーティーの一つです。最後には娘もその場に慣れて、とても楽しそうに公園で遊んでいました。

このグループでのお誕生日会は、翌年も開きました。もう一人、4月生まれの女の子も一緒に加わり、さらに賑やかで楽しいお誕生日会になりました。そのときのテーマは“Animal”でした。

その年は雨が多く、外ではできなかったため、結局友人のKatjaの家で開くことになりました。彼女はお掃除好きでとても広くて綺麗なお宅ですので、まだコントロールの効かない年齢の子供たちが部屋を汚すことをとても心配したのですが、快く引き受けてくれたので、無事にお誕生日会をすることができました。

バースデーケーキは、日系のケーキショップのSatura Cakesでオーダーしました。Saturaはシリコンバレーで日本風の美味しいケーキが食べられるお店です。スポンジが軽くて、甘すぎず、見た目も素敵なバースデーケーキでした。

2度のお誕生日会を経験したことで、たくさんのノウハウを得られたので、翌年からは自分たちでお友達を招いて娘のお誕生日会を開くようになりました。
娘は幼なすぎてほとんど覚えてはいないかもしれませんが、お友達と一緒にお祝いしてもらえたことは、きっと彼女の心の奥底に残っていると信じています。このような経験を積むごとに娘も徐々に明るく活発な性格に変わって行きました。
アメリカで知り合った友人たちが、右も左もわからないまま不安な気持ちで引越して来た私たち家族を仲間に入れてくれたことに今でも感謝しています。

*スイカ割り:Suika wari is to split a watermelon with a wooden stick like baseball bat at summer event or on the beach. He/She has to walk blindfold about 5m(20 inches). Other people who are watching the game give some words him/her like walk straight, almost there, hit and so on… After splitting a watermelon, everyone can eat a piece of watermelon.

2011年2月27日日曜日

Hina Matsuri-The Girls’ Day on March 3rd

Summary:Hina Matsuri which is the Girls' Day or the Dolls' Festival is held on March 3rd. We display the traditional dolls for girls at home for a couple of weeks. It is to wish the health and the future happiness of girls.
My daughter shared some pictures and snacks of Hina Matsuri at her preschool, when she was 4-year-old. I hope that her friends learned something about Japanese culture at that time. It will help them remember a part of the cross-cultural communication between Japan and the U.S. in the future.

Odairi sama & Ohina sama,
Hina Dolls
アメリカに住んでいる日本人にとって、日本の伝統文化や行事を子供にどのように伝えるかは難しいことだと思います。アメリカでは例えばお正月や節分といった概念はないので、家族がお祝いをしなければ、子供は知らずに過ごしてしまうことになります。
なかでも雛祭りは、小さい女の子を持つ母親にとってはぜひお祝いをしてあげたいと思う伝統的な行事の一つではないかと思います。私もささやかながら、毎年娘のために雛祭りのパーティーを開いて来ました。

娘が3才の頃、義理の母が日本から手荷物で雛人形を運んで来てくれたこともあり、友人のHeidiたち家族を呼んでパーティーを開きました。まだまだ3才の女の子たちにとっては、遊ぶことに忙しくて雛祭りや飾ってある雛人形にはほとんど興味がないようでした。。

Hina Matsuri Playdate
March, 2007
4才の頃には、日本人の何人かのお友だちを招いて、プレイデートを兼ねて小さなパーティーを開きました。
こうして毎年、日本人のお友だちとは誰かのお宅に招かれては雛祭りパーティーをしていたので、異国での生活の中で雛祭りの存在をしっかりと植えつけることはできたのではないかと思います。
ポットラック形式でママたちは食事を持ち寄り、子供たちには着物の代わりに浴衣を着せて雰囲気だけでも味わうことができました。またピアノを習っている娘のお友だちはピアノを弾いて聴かせてくれました。特別なことはできなくても、雛祭りの歌を歌って、一緒に食事をして…子供たちにとって楽しいお祝いの会となり、幼少期の記憶としてわずかにでも残っていて欲しいと願っています。

日本にいれば祖父母などと家族で一緒にお祝いができますが、カリフォルニアにいる間はお友達のママと協力しながら子供たちのためにと様々なイベントを熱心に企画したものです。

プリスクールでは、自由に自分の好きなものや紹介したいことを何でも共有“Share”することができました。シンガポール人の友人Hweeは、“Chinese New Year”のときに必ず“Lucky Money”を赤と金色の小さな封筒に入れてクラスのお友だち全員にプレゼントしていました。別のプリスクールに通うようになってからは、中国人の友人も同じ様に配っていました。日本で言うお年玉のような風習です。シリコンバレーは中国をはじめとするアジア系の移民が多いですし、ほんの一部分かもしれませんが、異文化に触れるきっかけにもなったことでしょう。もちろん子供たちは、思いがけないお金のギフトを素直に喜んでいました。

Hina-arare(Left) & Hina Matsuri Snacks
娘のプリスクールでは日本の文化を紹介するような機会はなかったのですが、雛祭りの日にはその文化の“Share”のために、雛人形の写真とクラスの人数で分けられるくらいの雛あられ“Hina-arare”を娘に持たせました。
カリフォルニアでは、しょうゆ味のおせんべいやかっぱえびせん、それにわさび味の豆などがアメリカのスーパーマーケットで売られているくらいですので、日本のスナックは食文化に浸透しつつはありますが、雛あられは甘くコーティングされているのでそれを子供たちや先生方がどのように味わっていたのかは興味深いところです。ただその雰囲気だけでも伝われば良いと思います。カリフォルニアのコーヒーショップにライスクリスピーはよく置いてあるので、全く初めて食する感覚ではなかったと思いますが。(個人的な意見ですのでわかりません。。) 

Origami
私の友人は、プリスクールでちょうど雛祭りの日に、クラスの何人かの日本人と雛祭りについて英語で説明をしたり、折り紙でお内裏様とお雛様をつくって台紙に貼り付けて、色を塗るなど、雛祭りにまつわる紹介をしたそうです。

別の友人のプリスクールでは、“Culture Day”があり、日本文化を紹介したという話しを聞きました。たまたま雛祭りの時期に重なった友人は、お雛祭りのことを紹介したと言っていました。他にも、お手玉やけん玉など昔ながらの遊び道具を持って行ったそうなので、そのクラスの子供たちも異文化を体験する良い機会になったことと思います。また子供にとっては母国のプレゼンテーションの機会になるわけですから、きっと張り切って紹介できたのではないでしょうか。
The Peach Brunches
for Hina Matsuri
こういった異文化コミュニケーションは、好奇心溢れる子供たちにとっては未知の体験であっても、それらの経験が何かの形となって残り、将来、少しでも世界観を広げる助けになればと思います。
またアメリカに住む日本人が、小さなことでも文化を紹介する機会を積極的に持つことが、世界の人々に日本を理解してもらう大事な役割となるのではないでしょうか。



2011年2月20日日曜日

From 53rd Grammy Awards To 26th Grammy Awards

Summary:We went to the Jazz Live“The Stanley Clarke Band Feat. Hiromi” at Yoshi's in San Francisco. This band won the Grammy award as Best Contemporary Jazz Album this year. When I listened Hiromi's piano playing, I was so impressed because she is not a typical Japanese Jazz pianist. Her playing style is dynamic and attractive. Even my 6-year-old daughter listened well, after playing, they got a huge standing ovation from the audience.
We also went to the exhibit “A Musical Legacy” of the Grammy Museum in Los Angels after Michael Jackson passed away. We saw his private costumes, gloves, lyrics, music videos and the speeches of the 26th Grammy awards in 1984.
We had some chances to listen and watch the real music in the U.S.. That was precious experiences.


Yoshi's San Francisco

先日、第53回グラミー賞が発表され、そのうち4人の日本人が受賞したというニュースをTVで見ました。アメリカの権威ある音楽賞に日本人が功績を残せたことは素晴らしいことだと思います。

なかでも“Best Contemporary Jazz Album”を受賞した 上原ひろみ“Hiromi Uehara”さんは、2009年10月にサンフランシスコの有名なジャズクラブYoshi'sで生ライブ“The Stanley Clarke Band Feat. Hiromi”を観ただけに、これからも陰ながら応援したいなと思っています。

ジャズライブは娘と主人と3人で行きました。開演ギリギリの時間に到着したので、空いているテーブル席が何と一番前のみ。Yoshi'sではチケットは事前にインターネットで購入できても席の指定はできません。全て自由席なのです。偶然にも、上原ひろみさんの座っている真後ろに私たちは座ることになりました。
真後ろとは言うものの、間近に彼女の体の動きとピアノを触るの手の動きを見ることができます。近かったことが良かったのか、当時、6才の娘でさえもその躍動感溢れる演奏にしっかり聴き入っていました。一人の日本人女性が会場にいる多くのジャズファン…しかも来ている方々には相当なジャズマニアも多いはず…をこんなにも湧かせるなんて…私にはその演奏内容を十分に表現することはできませんが、それはそれは感動のStanding Ovationでした。思わず娘も一緒に立ち上がっていました。。

カリフォルニアでドライブ中にジャズ専門のラジオ局をつけていると、たまに上原ひろみさんの名前を耳にすることがありました。演奏活動やその内容については全く知らなかったのですが、アメリカ滞在中に評判の高い日本人アーティストの演奏をYoshi'sで聴きたいなと思ったのがきっかけでした。

初めてYoshi'sへ行ったのは、娘がまだ3歳の頃だったと思います。まだサンフランシスコのジャズクラブが出来る前でしたので、オークランドまで出かけました。夫の好きなジャズギタリストのLarry Coryellが出演するということを知り、急遽平日の夜8時からの公演のチケットを取りました。わざわざオークランドまで車で約1時間かけて行くので、そのライブの前にYoshi'sの中にある日本食レストランで食事をすることにしました。
Yoshi'sは日本人がオーナーということもあり、レストランサービスは行き届いていると思いました。シリコンバレーにある多くのAmerican-Japanese Restaurantとは趣が異なり、内装や客層を見た限りでも高級日本食レストランです。何品か頼みましたが、そのときに久しぶりに器と盛り付けのバランスが整っているお料理を見たなと思ったものです。以降、そのレストランへ行く機会は残念ながらありませんでした。

ライブはと言うと、席は自由席ですので、中段にあるブースターシートに座りました。3才の子供には遅い時間ですので、横になって眠っても良いようにと思っていたのですが、娘にはきっと難しいジャズギター(私にも少々難解でしたので…)だったにも関わらず、最後まで起きていたのには驚きました。コンサートホールではなく、ライブステージという丁度良い広さと心地良いシートの感触がリラックスできたのか…真相は分かりませんが、幼いうちに何でも本物を体験させることの大切さ(?)かなと今でも信じています。。。

アメリカでは、夜遅くに夫婦で食事をしたり芸術鑑賞のために外出する場合は、子供をベビーシッターに預けるのが普通です。ベビーシッターに預けることに抵抗があった私たちは、多少の無理も承知のうえでそれならば一緒に連れて行ってしまおうと様々なイベントに娘が幼いうちから同行させていました。

夫は日本では考えられない近距離で憧れのギタリストの生ライブを堪能し、公演後にはロビーでCDを購入しサインをしっかりもらっていました。

Yoshi'sはどんな有名アーティストでもチケットの価格が良心的だと思います。また日曜日には、子供も鑑賞できるように午後の時間もライブを開催しています。ジャズファンに限らずとも気軽に楽しめるのではないでしょうか。

2度目のYoshi's訪問は、夫の誕生日でした。サンフランシスコがオープンしたと言うことで、行ってみたいなと思っていたところ、今回も夫の好きなジャズギタリストのLee Ritenourのライブが誕生日の週末に行われることが分かりチケットを取りました。

折角の機会なので、そのライブの前に、サンフランシスコのYoshi'sのレストランで食事をしました。内装は広々として天井はとても高く、ガラス張りの窓からは西日が眩しいくらいでした。ここもやはりシリコンバレーにはないお洒落な感じの日本食レストランです。その日は家族だけの、ささやかな誕生祝いとなりました。

2009年6月にマイケル・ジャクソンが急逝したのをきっかけに、その年末のクリスマス休暇に私たちはロスアンゼルスへ旅行することにしました。



そのときに初めて、The Grammy Museumを訪れ、マイケル・ジャクソンの特別展示“Michael Jackson:A Musical Legacy”を見ました。
展示コーナーは建物の一部のフロアの限られたスペースでしたが、マイケルの私物である衣装やグローブ、直筆の“Billy Jean”の歌詞、1984年に第26回グラミー賞で8部門を受賞したときのスピーチやヒット曲のミュージックビデオなどを見ることができました。
また“Billy Jean”のイントロ部分で、マイケルがステップを踏むと床のタイルの色が変わるあの有名なシーンを実際に体験してきました。
なかでも夫は、“Thriller”のレコードジャケットで実際に着たオフホワイト(当時は真っ白だったのかもしれません)のHugo Bossのスーツが展示してあったことに感動していました。

気がつけば私たち親子は、マイケルの展示コーナーに2時間近くもいたのですが…そのコーナーを訪れるお客さんも何度となく入れ替わっていました。

マイケル・ジャクソンがステージで歌って踊っていた時代を知らない娘にとっても何か胸を打つものがあったのか…この真相も分かりません。今となっては映像でしか見ることのできない彼の姿ではありますが、実際にThe Grammy Museumを訪れたことただけでも何か私たちの心に刻むことができたのではないかと思います。

2011年2月15日火曜日

Is Winter Cold or Hot?

Summary:My daughter and I were sick with the flu for the first time. We see many people who wear masks in Tokyo, but I think it is not enough to protect flu virus because they cough a lot. I have never worn a mask in California. In America, it is not normal to wear a mask, but it is quite popular in Japan, it is like a mask culture.
We went to San Francisco Zoo with my friends in February, 2005. And then, I saw many people wore short sleeves under the sun. It was so surprising to me because it is the coldest season in Japan.  Also, I never thought to go to the beach at the beginning of March.
In California, there are many beautiful sunny days, so most of the people whom I know are heart-warming like the sun.

先週、娘が生まれて初めてインフルエンザにかかってしまい、しかも今週は私がかかってしまいました。2009年、世界で猛威を奮っていた新型インフルエンザのときには感染しなかったのですが、日本に帰国して最初の冬に、私たちはインフルエンザの洗礼を受けてしまいました。。昨年の秋にインフルエンザのワクチンを接種したにも関わらずです。。

日本では公共の場所で、マスクは着けているもののゴホゴホ咳き込んでいる人をよく見かけます。そういう場所に出かけるのは極力避けたいとは思うのですが、ごみごみした東京に住んでいる限りそうは行きませんよね。。

乾燥注意報が1ヶ月以上続き、2月に入って街では男性も女性もマスクを着用している人を多く見かけるようになりました。アメリカでマスクをして外出することはなかったのですが、今年の冬は風邪の予防以外にも顔があまりにも寒いので、寒さと乾燥対策のために着けるようになりました。

アメリカでは、マスクは医療など特定の仕事に就いている人しか使用していないようです。ある日、カリフォルニアでのことですが、日本人のママがマスクをして、学校に子供のお迎えに行ったところ、ジロジロ見られたと言っていたことがありました。以来、その彼女は日本人以外の人に会う場合は、マスクを着けることをやめました。人に迷惑をかけたくなかったつもりが、もしかすると彼女の姿を見た人は、もの凄く深刻な症状だと思ったのかもしれません。。

ある年の12月に友人のJoannaと娘とサンフランシスコへバレエの"The Nutcracker"を観に行く機会がありました。その日私は酷い風邪を引いていたので、車でJoannaを迎えに行ってすぐに"Can I wear my mask because I am coughing so badly?"と尋ねると、すぐに彼女は"No! Never!"ときっぱり言いました。マスクをしなくても良いと言われたものの、私は咳をゴホゴホしていたので申し訳なく思い、ほんの気持ち程度ですが、のど飴をなめ続けながら何とか乗り切ることができました。喉の調子が悪いときは、車のエアコンの風にも敏感に反応してしまうので気を遣います。でもそれ以上に、Joannaのとても寛大な心が嬉しくもありました。

そもそも、アメリカ人には風邪のときにマスクをする習慣はないようです。運転中はともかく、公共の場での買い物の最中にマスクをしていたら、怪しい人かと間違われるかもしれません。。
アメリカでは咳が出ているならば、オフィスへの出社や外出を控えるそうですが、私の場合はどうしても見逃せないバレエ鑑賞だったので、そのときには出かけてしまったわけです。

風邪を引いていたら、人前に出ないのがアメリカ人で、マスクをしていれば許されるだろうと思うのが、日本人と言ったところでしょうか。マスクは日本独自の文化としても定着しているようです。

日本の冬の寒さは忘れていたわけではありませんが、周囲の人に訊いても今年は寒いと言う話です。シリコンバレー辺りでは一番寒い12月下旬頃から1月にかけてもウールやダウンのロングコートを着る必要はありませんでした。基本的に移動は車なので、コートはあってもなくても大丈夫なくらいでした。どちらかと言えば、ハーフコートや厚手のジャケットくらいで十分でした。インドアのショッピングモールでは、駐車場にいるときだけ寒いと感じるかもしれませんが、コートは後々余分な荷物になってしまうかもしれません。

覚悟はしていましたが、今シーズンは冬物をたくさん買い揃えました。ダウンコートから始まり、ファーの付いたマフラー、それに革の手袋まで…すっかり防寒対策貧乏になってしまいました。
カリフォルニアでは、日中は少し厚手のTシャツの下に肌着とハーフ丈のコートで十分だった娘も、この日本の冬の寒さには勝てずに肌着とTシャツの上に厚手のトレーナーを着てダウンコートを着るようになりました。それに外出時は、マフラーと手袋とイヤーウォーマーも必需品です。日本での冬の服装に関しては、カリフォルニア時代とは全く事情が違います。

今年のシリコンバレーの冬は例年より暖かい日もあったようで、日中は抜けるような青空で、子供たちは半袖シャツを着て遊んでいたそうです。確かに年によっては、雨が多かったり、多少暖かかったり寒かったりと差はあります。東京では先週から既に雪が数回降り、とても寒いので、その気候を羨ましく思ってしまいます。一方で娘はと言うと、東京で初めて雪を見たときは、無邪気に喜んでいました。

日本の冬は子供が外で遊ぶ時間が極めて少なくなり、どうしてもテレビゲームなど室内遊びばかりになってしまいます。シリコンバレーであれば雨の日以外は、小さい子供たちは思いっきり公園で遊べます。子供にとって太陽の下で思いっきり遊べることがとても大事であることは言うまでもないことだと思います。

シリコンバレーは夏はからっとした気候でとても過ごしやすく、冬は気温が低くなりすぎることもありません。但し特に冬の朝晩は東京と同じように冷え込むので、霜柱や薄く氷が張ることはありますが、雪は降りません。天気の良い冬の日中でも、陽の当たる場所にいると暖かく感じます。

日照時間が長いことや朝晩と日中との寒暖の差が激しいことは、葡萄栽培に大変適しているそうです。そのため、ナパやソノマを初めとするカリフォルニアワインのビジネスが大きく発展することとなったそうです。

また真冬でもゴルフが出来ることは、ゴルフ好きの人にとっては、実に魅力的な所だと思います。それも理由の一つなのか…駐在で一度住んだ経験のある人は、転職してから戻ってくることもあるそうです。

私が住んでいた場所は山に近かったので、朝はよく霧が出ていました。でも面白いことに、そこから娘の学校へ向かって車を運転していると、一本の道路を境にその霧がパッと晴れるのです。ある日はうちの方では雨が降っていたのに、学校では晴れて大きく虹が出ているなど。わずか4 mile(約6.4km)の距離ですが、なかなか風情あるドライブコースでした。

San Francisco Zoo
Feb. 2005
娘が2才のときに、友人のHeidiやKatjaたちと子供たちを連れて、サンフランシスコ動物園"San Francisco Zoo"へ行きました。その日は天気がとても良くて、2月初旬とは思えないくらい暖かな日で、歩いていると汗ばむくらいのポカポカ陽気でしたが、動物園にいる多くの人々が半袖だったことにも驚きました。このとき私にとっての2月=(イコール)一年で一番寒いという概念は覆されたわけです。





The Fun Beach Day
Mar. 2005
 その年の3月初旬に、車で1時間くらいのところにあるビーチへ行きました。3月に入ったばかりなのにビーチへ行けるのかなと最初は驚きましたが、晴れて気温が21℃(70F)を超えると、夏を意識するのがカリフォルニアなのだと思ったものです。

冬でも太陽が出ていて暖かい日は、半袖やノースリーブにビーチサンダル姿の人々もたくさん見かけるのもシリコンバレーならではです。皆口々に、"I like the sun."と言って、陽の当たる場所を好んで座ります。その土地に住む人々の人間性は、気候が大きく関係しているのかなと思わずにはいられません。

そういう環境が影響するのか…カリフォルニアの太陽のように多くの人々は明るく穏やかでフレンドリーです。シリコンバレーの地に根を下ろしたいくつものベンチャー企業が、現在では名だたる多くのIT関連企業として成長し続ける理由もそこにはあるのではないでしょうか。

東京の街路樹のつぼみはかたく閉じたままで、まだ春は少し先のようです。シリコンバレーの暖かい日差しと温かな人々をつい懐かしく思い出してしまいます。

2011年2月6日日曜日

What kind of SNS “Social Networking Service” do you need?

Summary:I have been using Facebook since 2009. I think this is one of the best communication tools for me. After moving back to Japan, we can still effectively communicate with many friends who live in America.
We have mixi, which is the most popular SNS in Japan. The number of mixi active users is about 15 million, on the other hand, Facebook's is only 2 million in Japan. The reason is to remain anonymous on the web, so we don't like to open our profiles normally.
 I think we have to take the chance to connect with Facebook much more if Japanese people want to spread our wings around the world... 

Typing
April, 2009
私たちがカリフォルニアを去って最も残念に思うことは、6年の年月をかけて出会った多くの素晴らしい人々と、お別れしなければならなかったことです。

先日、Facebookの全世界の利用者数が6億人を突破したとインターネット上のニュースにありました。私自身、カリフォルニアで出会った友人たちともそのFacebookのおかげで、継続してコミュニケーションを取ったり、お互いの近況を写真などを載せて伝えたり、情報をシェアする場所として大いに役立っていると思います。
もしもFacebookがなかったら、決して得意とは言えない英語で個人的にメールを書かなければならないプレッシャーから逃げ出し、大切な友人との連絡を絶ってしまうかもしれません。それでなくても、雑多な日々の中で一人一人にまめに連絡を取ることは難しいものですよね。私にとっては有益なコミュニケーションツールなのです。

先月、日本でも“The Social Network"の映画が公開されたので、映画館へ観に行きまた。その映画の中で初めて、Facebookをハーバード大学の学生向けに立ち上げたのは2004年であることを知りました。それはちょうど、私たちがカリフォルニアでの生活をスタートさせた年でもあります。

当時の私のコミュニケーションツールは基本的にはe-mailだけでした。あとは日本人向けのコミュニティーサイトとして、「世界のご近所さんを探せ!」が既にありましたが、私の場合は利用する必要もなく、生活は何とか立ち上げることができました。
生活がわりとスムーズに立ち上げられたことの理由は、夫の会社には私たちのような日本人駐在員が何人かいたので、その方々に会って色々とカリフォルニアの生活について伺うことができたからです。また何度かこのブログでも触れているとおり、プリスクールや近所の同じ年齢の子供を持つママたちと早い時期に知り合うことができたので、わざわざインターネットを使ってお友達作りをする必要はありませんでした。
もしもこう言った人々との偶然の出会いがなければ…「世界のご近所さんを探せ!」を利用していたかもしれません。

その当時、e-mailが存在していたことは、友人関係を築く上での重要なツールであったことは間違いないと思います。英語を話すこと以前に聞き取りがまだまだの状況だった私には、e-mailでプリスクールのことなどを詳しく教えてもらうことができたので、大切なコミュニケーションの手段だったわけです。
また友人からのe-mailで英語を読んだり書いたりすることが、生きた英語を学ぶことにもなりました。
初めの頃は本当に短いe-mailの内容でもどう返事を書いて良いのかわからず、夫に随分と助けてもらっていたものです。近頃では、8才の娘に内容をチェックしてもらっていることもあるのですが…

日本から両親や友人が遊びに来ることになった時、国際電話で話をしなくても、e-mailだけで日程の確認や滞在中のスケジュールなど全てのことを事前に決めることができて、サンフランシスコ空港で何のトラブルもなく迎えることができました。ある意味、直接話すよりも文章で表したことの方が、正確で確実に伝わるものです。インターネットのおかげで、日本とアメリカは距離や時差がありますが、実は近いのだと思うことが多々ありました。

何年か前、日本でmixi*が流行り出した頃、ある友人から招待されたこともありましたが、その時にはSNSの必要性を感じなかったため、結局、登録をしませんでした。今思えば、英語の環境で生活することにおいて、敢えて日本に目を向ける気持ちの余裕もなかったのだと思います。

同じ頃、アメリカではMyspaceが流行っていましたが、登録はしたものの参加しようにも英語力が不足している自分の実力のなさから結局続けることができませんでした。

2009年頃になって、複数の友人からFacebookの招待メールが来るようになって、アカウントを開くことにしました。恐らく、この頃には英語を読んだり書くことへの抵抗が少なくなって、自分から挑戦してみようという意欲が出て来たのではないかと思います。

以来、私のFacebookでのコネクションは、ごく身近な友人から始まり、娘の学校や習い事関係で知り合ったママたちへとネットワークの輪を広げることができました。これは帰国が近づくにつれて拡大し、今ではアメリカでの友人たちとの関係を保つ重要なツールの一つになっています。
またカリフォルニアには移民が多いので、アメリカ以外に住む家族との貴重なコミュニケーションの場となっています。従ってFacebookのページに書かれている言語は、英語以外にもスペイン語であったり、ドイツ語であったり、韓国語やもちろん日本語もあります。


My daughter made an office desk.
August, 2009

あと数年もすれば、娘がアメリカにいる友達とFacebookのネットワークを作り始めるかもしれません。将来、娘がどういう人生の選択をするかまだまだ分かりませんが、もしかするとネットワークの存在が役に立つ日が来るかもしれませんね。

娘がキンダーガーテンと1st Gradeを過ごしたプライベートスクールの5th Gradeで、iPadがクラスの全員に配布されたというローカルニュースの記事を友人のFacebookから知りました。その記事とYouTubeによるニュース映像を見て、コンピューター世代の娘はとても羨ましがっていました。

現在、娘の通っている区立の小学校では、コンピュータールームにラップトップを20-30台は所有していますが、2年生の授業では利用することがないそうです。
一方、カリフォルニアのプライベートスクールでは、キンダーガーテンからコンピューターの授業が週に1度あり、児童1人に1台、Macが割り当てられています。シリコンバレーのしかもApple本社近くの学校ですので、その環境は恵まれているのも当然と言えば当然なのですが、同年代の子供たちの置かれる環境の違いによって、彼らの将来がどうなっていくのかはある意味、興味深いことだと思います。

世界的に見ればFacebookは大成功ですが、実は日本ではまだまだ発展途上のようです。それは「文化の違い」**によるものであり、日本のSNSで圧倒的なシェアを誇るmixiで見られるように、「匿名にしたがる文化」**だからだそうです。。mixiでは、個人情報の漏えい防止のために本名を公開する人が極めて少ないそうです。

アメリカ人は、家族と離れ離れに暮らす人は多いです。以前、今では400人以上とのコネクションがある友人に「どうしてそんなにたくさんの人々と知り合ったの?」と尋ねたことがありますが、「両親・兄弟姉妹から始まり、その知り合いへと輪が広がったのよ。」と言っていました。その時には、ネットワーキングに対する意識が日本とアメリカでは違うのだなと感じさせられました。日本人ならば、ネットワーキングを友人や同級生など面識のある人に範囲を限定することが多いと思います。

Facebookがグローバル時代へとつながるツールであると考えたとしたら、日本人はそのチャンを生かすべきなのではないでしょうか。もしかすると、国際舞台で活躍する日本人がFacebookを使いこなせて初めて日本でのFacebookの利用価値が変わるのかもしれません。

けれども一方で、私たちには選択する権利もあるわけですから、自分にとって必要と思うSNSを使うことが一番大事なのでしょうね。

*mixi:日本最大手のSNSで、mixiのアクティブユーザーは1500万人近くであるのに対し、日本でのFacebookのアクティブユーザーは200万人超とのこと。ITmedia News 2011年2月4日より抜粋

**文化の違い」「匿名にしたがる文化」:「実名と友達力の威力」 AERA 2001年2月7日発行より抜粋

2011年1月30日日曜日

Happy Valentine's Day

アメリカでは年明けからバレンタインデーまでの期間、街のどのお店でも赤やピンクのハートのデザインが溢れています。
先日、輸入生活雑貨店“PLAZA"の前を通りかかったので、中を覗いて見ると、お店全体の雰囲気がピンク一色になっていて、アメリカを懐かしく思い出しました。さらによく見ると、カリフォルニアで買ったことのあるカードが売っていました。犬や猫や馬それにワニなどの動物の顔の絵がポップで可愛らしく描かれていて、唇の部分に一口サイズのチョコレートが付いているカードです。さらに見覚えのある小さなハートの形のバルーンも売っていました。何だか東京で再び出会えたことがとても嬉しく思えた瞬間でした。

ところで以前は、バレンタインデーほどアメリカと日本で解釈が違う日もないと思ったものです。アメリカでの初めてのバレンタインパーティーは、娘のプリスクールで経験しました。バレンタインデーの前の週に先生から、クラスの友達宛に人数分(20人程度)のカードを用意するように言われました。たまたまサンリオショップでハローキティーの小さなカードと封筒のセットを見つけたので、それを使うことにしました。

アメリカのバレンタインシーズンのお店には、関連する商品が催し物コーナーに数多く並びます。お菓子作り用の小物類を始め、カード、ロリポップやチョコレートなどのキャンディー、マシュマロからシールや鉛筆までハートのデザインだらけです。キャンディーなどは小さな袋に入れたりカードに添えてクラスのお友達へ渡します。

バレンタイン当日のクラスでは、子供たちがカードを入れるための紙袋をデコレーションします。プリスクールでは、靴が入っていた箱を事前に用意して、それにピンクの絵の具を塗り、最後にハート型の紙などを貼ってデコレーションをしました。パーティーのときに、子供たちがお友だち全員へカードを配り歩き、もらったカードは箱の中にしまいました。20人もの小さな子供たちとその親が一斉に動き出した時は、それはそれは凄まじかったです。クラスが終わると、子供たちはロリポップをなめながらとても幸せそうでした。

2才の娘は、カードにサインのような落書きとハートのスティッカーを貼る程度のことしかできませんでしたが、3才の時は自分の名前を英語でカードに書くようになり、4才の時はお友達の名前も英語で書けるようになりました。
クラスのお友達全員にカードを作ることによって、お友達一人一人を再確認し、相手を気遣う気持ちを育むことにも一役を担っていると思います。一枚一枚はとても小さなカードではありますが、その中には温かな気持ちがたくさん込められているのではないでしょうか。
しかもちょうどアルファベットに興味を持つ時期にお友達の名前をスペルアウトすることで、十分な学習にもなりました。

4、5才の頃からは、折り紙でハートを折ってみんなの名前も書いて渡していました。キンダーガーテンのクラスには30数人のお友達と先生が2人いるのですが、娘はせいぜい5-6個くらいしか折らなかったので、残りのほとんどを私が手伝っていました。。日本人のお友達の中には、全部一人で折っている子供もいると言うのに…これは性格の違いなのでしょうね。。
姉弟が3人いる日本人のご家族は、確か80個くらいハートを折り紙で作ったと言っていました。年に一度くらいは、家族で一つのことを協力し熱中するのも良いことかもしれません。

バレンタインデーのために子供たちは、クラスで両親宛にカードを作ります。小さなことかも知れませんが、アメリカではこういうところからも両親を大切に思う気持ちが自然に養われるのではないかと感じます。

久しぶりに日本のバレンタイン事情を調べてみると、昔と変わらず商業的な戦略イメージの強い「本命チョコ」*や「義理チョコ」**は存在するようですが、近年では「ご褒美チョコ」***、そして「友チョコ」****という女の子の友達や会社の同僚に渡すチョコもあるそうです。友人の話では、実際に毎年会社では女の子同士で手作りのチョコレートを渡しているそうです。日本も時代の流れからなのか考え方も変わって来て、なかなか面白いなと思いました。

そもそも女性から男性に渡すと言った偏った日本特有の風習は、今の男女平等社会では矛盾していますよね。男性からも大いに女性へ気持ちを込めてチョコレートを贈っても良いのではないでしょうか。

ある年のバレンタインデーの翌日、Heidiが皆に“How was your Valentine's Day?”と尋ねました。するとDeanaが“I got a lot of Roses from my husband.”と答えました。その答えは私にとって衝撃的で、すぐにその夜、夫に話をしました。とても素敵な話ですよね。私が長年違和感を抱いていた日本のバレンタインデーの風習…目の前の霧がすーっと晴れたかのような感覚でした。
日頃の感謝の気持ちを伝える日としてのバレンタインデーなら大歓迎です。それが夫や恋人からの花束であるならば、とてもロマンチックなことではないでしょうか。

ここ2年ばかりは、バレンタインデーが週末と重なっていたので、娘が夫と出かけたついでに花束とカードを用意してくれました。もちろん、とても嬉しい贈り物でした。日本ならば綺麗な箱に入った美味しいチョコレートかもしれませんが、私にとっては娘と夫が一緒に選んだ花束が最高のバレンタインデーの贈り物でした。

贈り物にはお花も素敵ですが、そうは言っても日本のデパートには目移りするくらい数多くの、世界中から集まった選りすぐりのチョコレートが売られています。家族皆で美味しいチョコレート、言わば「家族チョコ」“Eat chocolates with your family."を味わうのも良いかなと思っています。

*本命チョコ:“Honmei choco” means to give a chocolate to your boyfriend. Also, you tell somebody about your love with chocolate.

**義理チョコ:“Giri choco” means to give chocolates to your boss and co-workers.

***ご褒美チョコ:“Gohoo bi choco” means to buy something special like Godiva chocolate for myself.

****友チョコ:“Tomo choco” means to give chocolates to your close friends or co-workers. Also, it is only for girls.