2011年1月30日日曜日

Happy Valentine's Day

アメリカでは年明けからバレンタインデーまでの期間、街のどのお店でも赤やピンクのハートのデザインが溢れています。
先日、輸入生活雑貨店“PLAZA"の前を通りかかったので、中を覗いて見ると、お店全体の雰囲気がピンク一色になっていて、アメリカを懐かしく思い出しました。さらによく見ると、カリフォルニアで買ったことのあるカードが売っていました。犬や猫や馬それにワニなどの動物の顔の絵がポップで可愛らしく描かれていて、唇の部分に一口サイズのチョコレートが付いているカードです。さらに見覚えのある小さなハートの形のバルーンも売っていました。何だか東京で再び出会えたことがとても嬉しく思えた瞬間でした。

ところで以前は、バレンタインデーほどアメリカと日本で解釈が違う日もないと思ったものです。アメリカでの初めてのバレンタインパーティーは、娘のプリスクールで経験しました。バレンタインデーの前の週に先生から、クラスの友達宛に人数分(20人程度)のカードを用意するように言われました。たまたまサンリオショップでハローキティーの小さなカードと封筒のセットを見つけたので、それを使うことにしました。

アメリカのバレンタインシーズンのお店には、関連する商品が催し物コーナーに数多く並びます。お菓子作り用の小物類を始め、カード、ロリポップやチョコレートなどのキャンディー、マシュマロからシールや鉛筆までハートのデザインだらけです。キャンディーなどは小さな袋に入れたりカードに添えてクラスのお友達へ渡します。

バレンタイン当日のクラスでは、子供たちがカードを入れるための紙袋をデコレーションします。プリスクールでは、靴が入っていた箱を事前に用意して、それにピンクの絵の具を塗り、最後にハート型の紙などを貼ってデコレーションをしました。パーティーのときに、子供たちがお友だち全員へカードを配り歩き、もらったカードは箱の中にしまいました。20人もの小さな子供たちとその親が一斉に動き出した時は、それはそれは凄まじかったです。クラスが終わると、子供たちはロリポップをなめながらとても幸せそうでした。

2才の娘は、カードにサインのような落書きとハートのスティッカーを貼る程度のことしかできませんでしたが、3才の時は自分の名前を英語でカードに書くようになり、4才の時はお友達の名前も英語で書けるようになりました。
クラスのお友達全員にカードを作ることによって、お友達一人一人を再確認し、相手を気遣う気持ちを育むことにも一役を担っていると思います。一枚一枚はとても小さなカードではありますが、その中には温かな気持ちがたくさん込められているのではないでしょうか。
しかもちょうどアルファベットに興味を持つ時期にお友達の名前をスペルアウトすることで、十分な学習にもなりました。

4、5才の頃からは、折り紙でハートを折ってみんなの名前も書いて渡していました。キンダーガーテンのクラスには30数人のお友達と先生が2人いるのですが、娘はせいぜい5-6個くらいしか折らなかったので、残りのほとんどを私が手伝っていました。。日本人のお友達の中には、全部一人で折っている子供もいると言うのに…これは性格の違いなのでしょうね。。
姉弟が3人いる日本人のご家族は、確か80個くらいハートを折り紙で作ったと言っていました。年に一度くらいは、家族で一つのことを協力し熱中するのも良いことかもしれません。

バレンタインデーのために子供たちは、クラスで両親宛にカードを作ります。小さなことかも知れませんが、アメリカではこういうところからも両親を大切に思う気持ちが自然に養われるのではないかと感じます。

久しぶりに日本のバレンタイン事情を調べてみると、昔と変わらず商業的な戦略イメージの強い「本命チョコ」*や「義理チョコ」**は存在するようですが、近年では「ご褒美チョコ」***、そして「友チョコ」****という女の子の友達や会社の同僚に渡すチョコもあるそうです。友人の話では、実際に毎年会社では女の子同士で手作りのチョコレートを渡しているそうです。日本も時代の流れからなのか考え方も変わって来て、なかなか面白いなと思いました。

そもそも女性から男性に渡すと言った偏った日本特有の風習は、今の男女平等社会では矛盾していますよね。男性からも大いに女性へ気持ちを込めてチョコレートを贈っても良いのではないでしょうか。

ある年のバレンタインデーの翌日、Heidiが皆に“How was your Valentine's Day?”と尋ねました。するとDeanaが“I got a lot of Roses from my husband.”と答えました。その答えは私にとって衝撃的で、すぐにその夜、夫に話をしました。とても素敵な話ですよね。私が長年違和感を抱いていた日本のバレンタインデーの風習…目の前の霧がすーっと晴れたかのような感覚でした。
日頃の感謝の気持ちを伝える日としてのバレンタインデーなら大歓迎です。それが夫や恋人からの花束であるならば、とてもロマンチックなことではないでしょうか。

ここ2年ばかりは、バレンタインデーが週末と重なっていたので、娘が夫と出かけたついでに花束とカードを用意してくれました。もちろん、とても嬉しい贈り物でした。日本ならば綺麗な箱に入った美味しいチョコレートかもしれませんが、私にとっては娘と夫が一緒に選んだ花束が最高のバレンタインデーの贈り物でした。

贈り物にはお花も素敵ですが、そうは言っても日本のデパートには目移りするくらい数多くの、世界中から集まった選りすぐりのチョコレートが売られています。家族皆で美味しいチョコレート、言わば「家族チョコ」“Eat chocolates with your family."を味わうのも良いかなと思っています。

*本命チョコ:“Honmei choco” means to give a chocolate to your boyfriend. Also, you tell somebody about your love with chocolate.

**義理チョコ:“Giri choco” means to give chocolates to your boss and co-workers.

***ご褒美チョコ:“Gohoo bi choco” means to buy something special like Godiva chocolate for myself.

****友チョコ:“Tomo choco” means to give chocolates to your close friends or co-workers. Also, it is only for girls.

2011年1月23日日曜日

How to have fun walking

Meiji Jingu,
Shinto Shrine
カリフォルニアでの基本的な移動手段は車です。お買い物や公園に行くため、お友達の家へ遊びに行くためにも必要です。学校や習い事への送り迎えも保護者の役目ですので、車を運転しなければなりません。
渡米後に先ずしなければいけないことの一つは、DMV*の予約を取って運転免許証を取得することでした。
正式な免許証が取れるまでは、日本で発行された国外運転免許証で運転すこともできますが、とにかく道が分かりませんし、交通ルールにも慣れていません。おまけに道路標識や道の名前を運転中に瞬時に英語で読まなければならないことなど…数々の不安があったので、正式にカリフォルニアの運転免許証を取得するまでの行動範囲は、娘をストローラー**に乗せて歩けるところまででした。

引越した頃は夏だったので、日中は暑くて外出はできないということもあり、ほとんど夕方からでしたが、娘のお昼寝の前に散歩に出かけて寝かし付けていたものです。従って行くところと言えば、歩いて10分くらいのところにある交差点に隣接するモールの中の小さなお店や郵便局くらいでした。
それまで東京では毎日、歩いて買い物には出かけていたので、急に歩かなくなることに多少の不安を感じ積極的に歩いた方が良いなとは思っていました。

少し土地に慣れた頃、ご近所さんともお話する機会があって、別の方向に家から徒歩で20分くらいかかりますが、“Serra Park”という公園やその先に大型スーパーマーケットの“Safeway”があることを教えてもらいました。
公園へ遊びに行って、気分転換にお買い物もできたので、徐々に気分的には外向きになったと思います。公園までの道のりはずっと住宅街ですので、色々なお宅を眺めたりしながら、それなりに楽しい散歩でした。
サマータイムの時期は、日の入りが夏至の頃で9時近くですので、夏は遅くまで明るく、夕食後も家族で散歩ができるくらいでした。夫の帰りが早ければ、散歩のついでに“Safeway”のモールにある“Starbucks”でコーヒーを飲みに行くこともありました。些細なことのようですが、渡米後間もなくの頃には、とにかく外との関わりを持ちたいということもあって、とても貴重な時間だったと思います。

免許が取れて車を運転するようになると、圧倒的に車生活に浸かってしまいます。そのためなのか…徒歩で10分ほどのプリスクールでも一度も歩いて行ったことはありませんでした。。徒歩10分は、東京では歩くのが当たり前の距離です。
車に頼る生活ですので、歩いたり運動をする機会は作らなければなりません。子供に付き合って公園に出かけたとしても、子供ほど大人は動き回りませんので…すぐに運動不足になってしまいます。
冬の間は、大きな室内のショッピングモールへ出かけて、端から端まで歩くなど、歩く機会を作るためにと言い訳しながら買い物に行くという感じでした。まぁそれが結構楽しいわけなのですが…

Rancho San Antonio
Mar. 2008
娘がプリスクールに毎日通うようになると時間に余裕ができたので、友人のCarolinaやKatjaと一緒に近くの“Rancho San Antonio”というトレッキングには丁度良く歩きやすい山にウォーキングをしに行くようになりました。実は車で5分程度の場所に自然豊かな場所が存在していたのはとてもラッキーなことでした。東京で山歩きをしようと思うと、高尾山“Mt.Takao”が思い浮かびますが、都心からだと電車で1時間はかかってしまいます。それが車で5分ですので、今思い返しても環境にはとても恵まれていたと思います。



Rancho San Antonio
Jan. 2010
“Rancho San Antonio”は険しい山ではなく、とてもとても広くてなだらかな丘のような感じです。トレッキングコースもそれなりにいくつもあります。それぞれの予定に合わせて、2時間のときもあれば4時間くらい歩いた日もありました。おしゃべりしながらですので、時間が経つのはあっという間でした。慣れてきた頃には、一人でも歩きに行っていました。必ず誰かが走っていたり歩いているので、心細くことはなかったのですが、やはり山中ではあるので携帯はつながりにくいという問題もあります。中には迷ってしまうこともあるという話も聞いたことがありました。CarolinaとKatjaが歩いていたときには、マウンテンライオンを見たと言っていました。「そのときは威嚇して勇敢に立ち向かったとのよ。」と笑いながら話していましたが、必ずしも安全というわけではないようです。

それでも途中途中に眺めの良いスポットがあり、シリコンバレーを広く見渡せます。小鳥のさえずりや水の流れる音などをBGM代わりに、歩き終わるととても清々しい気分になりました。また鹿が多く棲んでいるので、時々、鹿の母子の姿を見かけました。いつ見ても鹿の子供はとても可愛らしかったです。
日本から友人が遊びに来たときにも誘って一緒に歩きに行きました。その友人にも好評で、良い思い出になったと喜んでもらえました。

昨年12月から、娘のクラスのママたちとウォーキングを始めることになりました。あるママから「ウォーキングをしない?」という提案があったときに、私もをろそろウォーキングを再開したかったこともあり、ようやく実現できることになったので良かったと思いました。東京都心に住む私たちのウォーキングは、山歩きではなく街歩きです。でも意外にも坂が多く、近くには大きな公園もあるので、歩く環境としては十分楽しめると思います。
前回は普段通らないような住宅街を抜けて下北沢の商店街まで片道30分くらいですが、途中買い物も楽しめて、さらにランチを食べて帰って来ました。いつもなら電車で行くような距離なのですが、案外大人だけの足なら行くことができます。子供が一緒ですとなかなかそうは行きませんが。

Kiyomasa Ido“Well”
新年第一回目のウォーキングは、明治神宮“Meiji Jingu”敷地内にパワースポットがあるということなので、その場所を目標に歩いて行くことになりました。
そこには『清正井』(きよまさいど)“Kiyomasa Ido”という金運がアップすることで有名な井戸があります。数年前からは整理券が必要で1時間待ちという状況だそうですが、幸いこの日は平日の午前中ということもあり、私たちは10分程度待つだけで見ることができました。

明治神宮へは子供の頃から初詣に出かけたり、昨年の11月には娘の七五三、それに今年もつい先日初詣に訪れたばかりですが、そこにパワースポットがあるということは全く知りませんでした。

そもそもパワースポットとは、「癒される場所」ということらしいですが、日本の場合は主に神社、山、水や岩のあるところなど、数多く存在するようです。
最近では日本でもアリゾナ州のセドナ“Sedona, Arizona”がパワースポットとして有名で訪れる人も多いようです。

Iris Fields
 原宿方面から明治神宮の大鳥居をくぐり御本殿へ向かう参道の途中左側に北門があります。整理券を受け取るために入場料を支払ってから入ります。『清正井』にたどり着くまで庭園を眺めていると、ここが東京の都心であることをすっかり忘れてしまうくらいです。途中、バードウォッチングをしているグループやこれからの季節に備えて『菖蒲田』(しょうぶだ)を手入れする人の姿を見かけました。とても情緒豊かです。季節を通して楽しめる場所なので、次回は春のツツジの咲く頃にでも訪れると違った趣を味わえそうです。



Main Shrine Building,
Meiji Jingu
 今考えてみると、カリフォルニアでは“Rancho San Antonio”が私にとっては気軽に訪れることのできるパワースポットだったかもしれません。
何か目的があるとウォーキングもより快適で楽しいものになります。東京には東京らしい楽しみ方があるので、これから四方八方歩きに出かけたいと思っています。

アメリカでも日本でもウォーキングで共通に言える楽しみは、友人との会話の時間にあります。景色を共有しながら、色々な話をしてお互いに理解し合う…とても充実した時間を過ごすことができます。今後も友人たちとのウォーキングを通して東京探索を続けて行くつもりです。

*DMV:“Department of Motor Vehicles”の略。運転免許証“Driver License”交付など、車に関する手続きを行う機関。

**ストローラー:“Stroller” ベビーカー

2011年1月16日日曜日

IKUMEN-the Role of Fathers

South Lake Tahoe
July, 2009
日本での子育て環境は社会的に年々向上していると言えます。自治体によってその内容は異なりますが、子供の医療費が無料であることや、子供手当の支給、保育園や幼稚園の預かり時間の延長など、私が2002年に娘を出産した当時と比較しても数段改善されていると思います。
ただ本当の意味で子育て環境を良くするには、父親の育児参加が必要であると言えます。近頃、積極的に育児に参加する男性を「イクメン」*と呼び、その新しい言葉を頻繁に耳にするようになりました。またそれに関する記事を読む機会も増えました。

男性が育児のために会社を休む育児休業(以下、育休)の取得率**は、1.72%(2009年度)という低水準だそうです。ちなみに女性は、85.7%だそうです。私も娘を2002年の12月に出産し、2003年の12月末まで育休を取得しました。当時働いていた会社では、事務職の女性で育休を取得する例がほとんどなかったので、私の育休取得が今後の働く女性社員の好例を示し後に続くようにと、職場の厚意に100%甘えさせてもらった結果、1年間まるまる休むことができました。

果たして父親が私と同じように育休を取得することは可能なのでしょうか。2003年の時点では、夫に育休を取得してもらうことなど考えたこともありませんでした。但しもう一度、私自身に育休取得の必要が生じた場合であっても、現在の主人の仕事の立場や状況を考えた場合、1週間の育休を取ることさえ決して容易なことではないと理解できます。

昨年の夏、友人に4人目の子供が生まれました。そして先日、そのご家族に久しぶりに会うことができました。そこでの話の中で、友人のご主人が元祖「イクメン」ということで盛り上がりました。初めての子供が生まれたのは、2002年1月。今から9年前のことですが、当時からご主人は育児に積極的で協力的でした。若い父親がベビーカーに赤ちゃんを乗せて散歩をしている様子は、ご近所ではちょっとした有名なパパさんだったそうです。

「たまたま自宅で仕事の出来る環境だったから」とそのご主人は言いますが、それでも仕事をしながら子供の面倒を見るというのは並大抵のことではないと思います。やはり違うのは、ご主人の育児に対する高い意識であると言えると思います。そのご家庭は少子化と言われる時代の中、2人目、3人目、そして昨年4人目を授かり、ご主人は休日になると子供たちのサッカークラブの審判も引き受けているそうです。子育てに関してとても理想的で円満な家庭を築いていると思いました。

アメリカで有名な観光地を旅行中に遭遇した場面ですが、あるアメリカンレストランで両親と息子2人(高校生くらいだったと思います)のご家族と隣り合わせになりました。こういう家族旅行の風景はアメリカでは日常のことですが、恐らく日本では、家族が揃って旅先のレストランで食事をするという光景に出会うことは珍しいことだと思います。と言うのも、子供が小学生くらいまでは家族旅行の機会が頻繁にあっても、中学生くらいになってしまうと家族一緒に行動することが極端に少なくなるからです。
これは一体何を意味するのか考えてみたのですが、幼児期の大事な子育ての時期に父親が子供にどれだけ関わったかという影響力によるものではないかと思います。

古くから日本では、仕事は父親、子育ては母親と役割分担されていました。子供の学校教育や習い事に父親は関心を持たなかったというのが現実のようでした。もちろん、家庭ごとにその差はありますし、昔から家庭思いの父親も存在したはずです。

アメリカで男性が育児に関わるということは、とても自然であり当然でもあるということがよくわかります。アメリカで働く女性が出産後、仕事に復帰するまでの期間は、私の知る限り、出会ったどの女性も3ヶ月というとても短い期間でした。また出産時にはご主人が会社を休む(有給休暇)こともあり、大抵1週間から2週間ほどでした。もちろん両親が来てくれたり家事を手伝ってくれる人を雇える場合は、ご主人が会社を休まなくても良いかもしれません。もともと残業や仕事の後の飲み会といった日本では当たり前の概念はなく、仕事が終われば真直ぐに帰宅しますし、育児を手伝うのがごく自然な流れになるのでしょう。

子供のプリスクールや学校の送迎には、大体半分くらいは父親が来ていました。中には、毎朝気さくに会話をするお父さんもいたくらいです。とりわけ金曜日は、娘の学校のお迎え時間(午後3時)に両親が揃っている姿を見かけたものです。

平日の夕方、公園では子供と遊ぶ父親、サッカーや野球チームのコーチをする父親、スーパーマーケットでは子供と一緒に買い物をする父親の姿もよく見かけます。友人のKatjaのお宅では、ご主人が帰宅すると、さり気なく夕食のためのテーブルセッティングを手伝ったり、子供たちの宿題をいつも見てあげていました。アメリカにはあちらこちらに見本となる“Ikumen”の Daddyがいるのです。

日本で男性が育休を取ることができない場合は、出勤時間を遅くしたり、残業や出張の負担を少なくしたりするなどの配慮があれば、夜だけでも育児を手伝うことが可能となります。ただ実際に仕事のペースを落として職場に気を遣ってまで育休を取得する気があるのか、できるのか。現実問題として、その判断はとても難しいと思います。。

Let's cook!
Nov. 2004
それでも平日は忙しくて育児を手伝うことができなくても、週末は時間をやりくりすれば可能でしょう。子育ては誰の仕事でもなく、父親と母親に責任があるのです。父親がどうやって子供に関わっていくか…宿題を見てあげる、公園に散歩に行く、スポーツをする、料理を作るなど父親ができることを子供と一緒に実践すれば良いと思います。

子供が中学生になっても高校生になっても家族旅行ができることが我が家の目標の一つでもあります。それが目標で終わることなく今と変わらず家族一緒に過ごすことができる…そんな家族を目指して子育てをしていきたいものです。

今後多くのイクメンの活躍によって、将来の日本を担うであろう子供たちが真直ぐとすくすく育ってくれることを望みます。

*イクメン:育児にチャレンジする“養育男子”-彼らが「イクメン」、すなわち“育メン”なのです。
『ザ・イクメン』 Prologue セイン カミュ著より引用
 
**育児休業の取得率:2010年7月16日厚生労働省による発表。育児休業中は、一般的に無給だそうです。

2011年1月8日土曜日

Playdates make you learn more about America

渡米した2004年の夏、娘は1才半でした。まだ子育ては手のかかる頃で、もちろん四六時中、何をするにも行動が一緒でなければなりませんでした。
一方、「アメリカで先ず何をしたいか。」と渡米前から考えていたのは、「どうしても英語が話せるようになりたい!」ということでした。英語を勉強するには、英語のクラス(ESL)*に通うのが普通かもしれません。しかし子育て中ということもあり、学校などに通う時間はありません。また以前、“英語は絶対、勉強するな!”という本を読んで、英語は勉強するものではなくて、身につけるものだと思っていましたし、そのためにはローカルの人とお友達になることが先決だと考えていました。

自宅から徒歩で10分、車で2分とかからないくらいの場所に、たまたま親子で参加できるプリスクール“Preschool”**があることを知り、早速8月末からそのプリスクールに通うことにしました。クラスは年齢別に分かれていて、まだ娘の年齢が幼いので週に1度ですが、保護者同伴が必須条件でした。「親子で参加」というのは、勝手の分からないアメリカへ来て間もない私たち母娘にとっては好条件でしたし、娘にお友達がそろそろ欲しいなと思っていた頃でもあったので参加することにしました。特にこの時期の娘は人見知りが激しくて、なかなか私のそばから離れることもなく、引っ越したばかりの家では泣いてばかりでした。

アメリカの学校では一般的に、新学期が始まる前にオリエンテーションがあります。その当時、英語の聞き取りに全く自信のなかった私は、できれば主人と一緒に参加したかったのですが、娘を連れて行くことができないので、主人が娘とお留守番ということになってしまいました。実際に、クラスに娘と参加するのは私ですので仕方なく出かけることにしました。とても緊張する中、主人と娘が手を振りながら見送ってくれながら、車でガレージを出たことを今でもしっかり覚えています。

オリエンテーションでは、先生がペラペラと早口で何かを説明しています。恐らく、90%以上、分かっていなかったと思います。そんな中たった一つだけ、あるママが質問した“スモックなどの洋服の上に着るものは必要ですか?”というような内容とそのやり取りは何となく分かりました。。

クラスへ参加すれば、地元の人とお友達になれるチャンスもあります。そこで知り合ったのが、前のブログにも何度か登場しているHeidiです。
初めてHeidiから、“Are you Japanese?”と話しかけられて、はっきりとどう返したかは覚えていませんが、恐らくしどろもどろに“Yes...”とだけ答えたのではないかと思います。
日本でまともにアメリカ人と英会話をしたことのない私にとって、本物(当たり前のことですが)のアメリカ人に話しかけられるのはどれほど緊張するか…帰国した今、思い返してみてもあの頃は本当に宇宙にでも行ったくらいの感覚だったのだと思います。
実はHeidiは、“Japanese American”でした。お父さんは“German American”でお母さんは“Japanese American”です。それを聞いて、とても親近感が湧きました。また、偶然にもオリエンテーションで質問していたのが、Heidiだということも覚えていました。

その夜、夫にプリスクールでの出来事を話して、とても好感の持てるHeidiという女性に会ったので、今度は私から“どの公園で遊んでいるの?”と尋ねたいけど、何て英語で言えば良いのかと相談しました。そんな簡単なことでも、何をどう英語で話して良いのかわからないくらい無知だったのです。日本語だったらすぐに親しく会話ができるのに…私にとっての言葉の壁でした。

翌週、クラスが終わった後、“Which park do you go?”とHeidiに尋ねました。すると彼女は、その数日後の朝、私の家を訪ねてきて、“We are going to Central Park. Can you come?” と言いました。
その公園へは行ったことはなかったのですが、地図をもらって何とか車で行くことにしました。車の運転は不慣れ、道も分からない…でもせっかくお友達になれるチャンスです。娘にとっても同じ年頃のお友達ができる良い機会と思って、とにかく行ってみました。

毎週クラスが終わった後は、Heidiが声をかけた何組かのママと子供たちで、“Burger King”へ行くことになりました。“Burger King”には、遊具があるので、子供たちはそこで遊ばせて、ママたちは座って話すことができます。それからは毎週、集まれる人が集まるようになり、徐々にプレイデート“Playdate”という形になりました。

その中のママの一人に、“Are you Japanese? All blood?”と訊かれた時には驚きました。みんな、それぞれに人種が混ざっているのが当たり前のアメリカです。国は様々、ヨーロッパ系、南アメリカ系、アジア系、中東系、アフリカ系の各国の血が混ざっています。それも一人に2つどころか、ルーツをたどると3つ4つの人種が混ざり合っていることになります。その昔、大学のアメリカ文化史の授業で「人種のるつぼ」“Melting Pot”という言葉を学びましたが、正にこれがそうだと実感できる瞬間でした。

一方、日本人は100%日本人であることが当然ですので、今まで人種やその構成について深く考えることはありませんでした。最近でこそ、都内ではアジア系を中心に世界各地から集まった人々を頻繁に見かけるようになりました。と同時に国際結婚の率は全国平均で4.9%(2009年)***、東京都23区内では10.1%(2005年)****になるそうです。一部の地域で少しずつではありますが、人種の多様化“Diversity”の傾向が見られるようです。

実際、23区内の公立小学校に通う娘のクラスには、“オーストラリア人の父と日本人の母”、“日本人の父と中国人の母”、“両親が中国人”などのお友達がいます。「人種のるつぼ」であるカリフォルニアから帰国した直後の娘(感覚としてはアメリカ人に近い子供)にとっては、とてもプラスの環境となりました。

子供にとっては、小さい頃に出会ったお友達が、日本人であっても日本人でなくても関係ありません。また生まれ育った環境が違うことを気にしたり、非難されることもないのです。お互いがお互いを尊重して、ありのままを受け入れることができる…これから国際人を多く育てていくために、先ずは日本人が人種のことを理解し受け入れる寛容さが必要だと思います。

*ESL:English as a Socond Language ESLは英語を母国語としない人のための英語のクラスです。市民センターの講座やカレッジなどで受講できます。申し込み時にテストを受けて、クラス(初級・中級・上級など)が決まります。 

**プリスクール“Preschool”:アメリカでは0歳から教育の準備段階としてプリスクールがあります。プリスクールでは独自のカリキュラムに基づいて、絵本の読み聞かせ、童謡を歌う、楽器に触れる、アートワーク、体を動かして遊ぶなど、色々なことを体験します。年齢が低い場合は、週に1度程度、2-3歳からは、週に2-3度通うようです。教育方針や内容はスクールによって様々です。4歳からは、Pre-KやJr.Kのように、5歳からのKidergarten入学に向けてのアカデミックなカリキュラムに変わるところが多いようです。週に3-5度通います。

***4.9%(2009年):国際結婚の動きより抜粋

****10.1%(2005年):都道府県別 国際結婚の割合ランキングより抜粋

2011年1月6日木曜日

Happy New Year 2011

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

日本でお正月を迎えたのは、2004年以来、7年ぶりのことです。久しぶりに自宅で迎えても良かったのですが、アメリカでは毎年旅行先で年越しするのが習慣となってしまったせいか、ただ単にお正月の準備をするのが面倒だっただけか、大晦日は軽井沢で過ごしました。
ホテルの部屋でNHKの紅白歌合戦を実に7年ぶりに鑑賞し、テレビを観ながらのカウントダウンというとても日本人的な年越しとなりました。

2009年のクリスマス休暇は、ロサンゼルスとディズニーランドで過ごしたのですが、その帰りに今まで一度も訪れる機会のなかった“Big Sur”という場所に1泊して新年を迎えました。“Big Sur"は、サンノゼからロスに向かって車で2時間程の場所にあります。途中、美しい太平洋を見渡す海岸沿いの街、“Monterey”や“Carmel"を過ぎると、その先にはさらにダイナミックな海岸線が続きます。大晦日は、ビッグサー州立公園内のロッジ“Big Sur Lodge”に宿泊しました。

室内にはテレビがなく、山の静寂の中でひっそりと過ごすことになりました。ロッジの造りは当時住んでいた家と似た様式なので、宿泊というような特別な感じではなかったのですが、暖炉を焚いたことによってグンと雰囲気が増しました。自宅では暖炉はあっても飾りとしてだけで、使用することはありませんでした。

静けさの中で槙がパチパチ燃える音を楽しむだけでも十分に良かったのですが、結局その年に流行っていたマイケル・ジャクソンのCDをパソコンで聴きながら年明けを迎えることになりました。
7才になったばかりの娘も頑張って(興奮して)起きていたので、小さな“New Year's Eve Party”をしながら待っていました。待ちに待った午前0時には“Happy New Year!!"と言って、家族で乾杯をしました。例年とは異なったなかなか味わうことのできない、静かで温かな新年の始まりとなりました。

2008年は、ハワイのホノルルで年越し花火を観ながら新年を迎えました。カラカウア通りからビーチに向かい賑わう人々の波をホテルの部屋で眺めていると、突然、花火が夜空にドーンと上がり始めました。ホテルの部屋の向きが、ワイキキビーチ側と山側を望める位置だったので、海と山の上の両方に見事な花火を観ることができました。花火を間近に観れたことはとてもラッキーでしたし、またいつか同じように華やかな新年を迎えたいです。

初めてアメリカで迎えたカウントダウンは、サンフランシスコの“Union Square”でした。小雨の降るとても寒い夜でしたが、大勢の人が集まっていました。“Macy's"や“SAKS FIFTH AVENUE"の静かに輝くクリスマスライトが印象的でした。

アメリカでは、“New Year's Eve Party"を家族だけではなく友人同士で開くこともよくあるようですが、日本では年末年始は一般的に家族で過ごすことの方が多いようです。アメリカでのクリスマスが家族と過ごすのに対して、日本のクリスマスは家族だったり恋人や友人同士だったりもします。
私としてはクリスマスはアメリカで過ごして、新年を日本で迎えるのが理想的かもしれません。

毎年、違う場所で新年を迎えるのは楽しいものです。でもどこで過ごしても未だに初日の出を拝んだことはないので、一度は自分の目で見てみたいものです。その場合、夜更かしをしては実現が難しいかもしれませんが。。
輝かしい初日の出とともにめでたく新年を迎え、決意を新たにする…そんな日本的な新年を次は迎えたいと思います。